Christopher Willits インタビュー 2008年2月15日
坂本龍一とのコラボレーションについて/作曲に対するアプローチ/「水」について
※著作権について:元記事を書いた本人Tobias Fischerより、翻訳記事の掲載と、画像の使用の許可を頂いて紹介しております。
Original Website link:here

●こんにちは。調子はどうですか? 今はどちらに?
こんちわ。今はサンフランシスコのバーナルハイツにいる。カフェの外にある席で出来るだけ早くこのインタビューの返事を書こうとしているところ。というのもここ数日間は天気が本当に良くてね……。それでだらけて返事が遅れてしまった。太陽が僕を呼び続ける中、PCと一緒に引きこもっているのは困難だよ……。というわけで、外に出てPCと太陽と一緒にいるというわけ。
●現在のスケジュールはどうなっていますか?
Ghostly Internationalからリリースするための新しいアルバムの制作に取りかかっている。それと、North Valley Subconscious Orchestraや他のアーティストとのコラボレーションの仕事もある。あと、今年の四月からStars of the Lidと一緒にアメリカツアーをやるんでその準備もしている。
●「Ocean Fire」は12kからリリースされましたね。ついにワールドワイドな展開になりましたが、これはあなたにとってどのくらい重要な事でしょうか?
夢が現実になったって感じだよ。達成感で一杯だし、ワクワクしてもいる。
●「Ocean Fire」は2つの段階を経て制作されています。坂本龍一とのライブセッションによって生まれた基本となるトラック、そして数ヶ月間のスタジオワークによって磨かれていきました。つまり、自然に頭の中に生まれた風景を捉えて、細かい作業を経て仕上げる。実際、どうやって作業を進めたのでしょうか?
苦労は無かったよ。録音した基本となるトラックはとにかく濃かったんでね。僕がやった事の全ては、最終バージョンまでのガイドを務めたという事さ。
●「Ocean Fire」は長い時間を経て、あなたのここ2年間の創造性の様々な側面を網羅した上で実現したアルバムです。「Ocean Fire」には様々な影響が何の制限もなく入り込んできている作品だと認識していますか? それともあなたは厳しく分けてアルバムを作っているのでしょうか?、
僕はたくさんの物事に同時に取り組みがちなタイプでね。全てはお互いなんらかの形で影響し合っている。それぞれの作品で、常に制約を設けて取り組んではいるんだけど。どの作品にも自分なりの境界線があるんだよね。それが結果としてより深い所にある違うエリアへと僕を解放してくれる。
●私は、あなたと坂本龍一が今回の作品で模索していた方向はこうだという確信を持っていました。それは、より曖昧とした音像でありながら、水と海のサウンドを実に自然な方法で組み合わせて楽曲へと溶け込ませる。そんな方向性です。楽曲へと溶け込んだそのサウンドは水のサウンドを伴って音楽的な素材へと変貌したり、時折波のようなサウンドとなったりしていますね。これは意図的なアプローチですか? それとも“コンセプトアルバム”に没頭した結果、自然に生まれてきたものでしょうか?
えっと……、僕たちはただただ音楽を一緒に作ったってだけなんだよね。(コラボレーションという)夢から覚めた時、それは海というイメージの中で長い瞑想をしているようだった。それで僕たちは、海を汚してきた事への癒しというアイデアでリリースする事に決めた。個人的に、この作品にはホント引き込まれるよ。幸せ、悲しみ、恐怖、喜び、そして刺激に満ちている。全てがミックスされているよ。
●坂本龍一のサウンドを補ったり、その逆であったりと、そういったやり方だったのですか? このアルバムでは誰が何をプレイしているのか? それを教えて頂けますか?
彼がざっくりとピアノを弾いて、僕がそこに自分のギターを染みこませていった。インプロヴァイズ中に驚いた事と言えば、決定的な“キー”が存在しなかったという事だね。僕達はただただ感じたままにアウトプットをして、音響を持続させ続けた。自然に感じられるのであればどこであろうとね。それがメロディーと不協和音の面白いミックスにつながってるんだよね。レコーディングの最中、顔を見合わせて、「これはお前のサウンド? それとも俺の?」なんて思うことが何度かあったよ。
●坂本龍一のピアノにせよ、あなたのギターにせよ、聴いてパッとわかるような曲ではないですよね。これは、逆にサウンドのイメージをガッチリと 固めてしまうと、リスナーがサウンドに抱く連想を無意識的に台無しにしてしまうかもしれないからという事でしょうか?
特に話し合う事もなく、曖昧なサウンドに引き寄せられた。2人が望む道がそこにあった、というか。このサウンドって潮の満ち引きって感じだよね。
●「Ocean Fire」は汚れてしまった海に対する癒し、回復を意識した作品ですよね。そこに対する重要性を、私たちが再認識するようになってきたのはなぜだと思いますか? それと、あなたがリリースする最近の作品には水に関連した言葉が使われていますが、何か明確な意味があるのですか?
君が何を読んでそう聞いたのかはどうでもいいけどさ、これってグリーンピースキャンペーンとかそんなんじゃないことは確かだよ。ああいった活動に反対もしないけどね。このミステリアスで、広がりがあって、ワクワクするサウンドは自分自身の意識の中から生まれてきたものだよ。未知なる領域から生まれたサウンドって事。
少なくとも、僕にとって「Surf Boundaries」というタイトルは、水の動きとか、そういうイメージに関した事なんだよ。Beach Boysとは何の関係もない事は間違いない。なぜみんながあんなにもBeach Boysの作品を引き合いに出すのが理解出来ない。ボーカルハーモニーとサーフという単語の組み合わせがイコールBeach Boysって事? ナンセンスだなあ。実際のところつながりはあるけどね。5声ハーモニーとかサーフという言葉とか。これらがある種の意図を生み出してしまうのか……良い例だよね……。
●「Plants and Hearts on Room40」のレコーディングにおいて、ギターサウンドを様々な角度から捉えるために、独創的なアイデアを実践していますね。このアイデアが生まれた経緯は?
古い友人で、エンジニアのプロであるライアン・クリーマンがサンフランシスコにやってきて、MS recordingを紹介してくれたんだよ。その時、僕達はこれを試してみようって決めた。MS recordingによる音響の可能性、それを望んだ。実験の余地は大いにあり、結果は上々だったよ。
●「Ocean Fire」でのサウンドや「Plants and Hearts」で成し遂げた成果を見ると、ギターをもはや楽器として見なさないというアイデアをあなたは提示しているように思えます。音響の探求に使う複雑なツールは、今も自身の発見につながっている。この解釈であっていますか? そして仮にそうであるならば、今現在のあなたのチャレンジは何でしょうか?
ああ、今は“ドローンの日々”に浸っている。そんな感じかもね。(笑) 僕は常にあらゆるタイプを実践しているよ。君が言った作品ではギターを処理する事に夢中だったし、よりファンキーなサウンドも実践している。ギターという楽器を、僕は常にコードとソロの為の弦楽器、以上のものとして見てきた。そう見るようになったのは数年前からだね。ギターという楽器や、弦の響きの中にある、また違った方法というものにいつも遭遇している。もう間違いなくポイントはそこだよ。僕がここにいる理由はそれ。そういったサウンドでみんなを惹きつけるって事さ。
●また、そういった試みはあなたのヴィジュアル・アートと近い部分にありますよね。2つのエリアは直接的に影響を与えあうのですか? それとも、ほとんど関係は無い? もしくは、頭の中にある、ある種のイメージに沿って曲を作るのですか?
根っこにある部分は全部一緒だよ。僕はそう思っている。違いはエネルギーのフォームというか……。意識の方向性が違うんだよ。最近は映像を以前にも増して撮るようになっているけど、これがまたサウンドにも反映されるんだよね。それと、自分のギターサウンドのリズムに合わせて写真を結びつける(パラパラ漫画のイメージ?)、ということもよくやるよ。L.Aでやった「Plants and Hearts」のライブの時は5000枚以上の写真を使った。植物と光の写真をランダムに再生出来るようにmax/msp/jitterのパッチを作ったんだ。そういった部分に、今度の4月、5月にやるStars of the LidとのU.Sツアーではもっと力を入れる。
作曲に関しては、伝統的な方法というよりは、もっと彫刻とか絵画的なアプローチで取り組む。形、色、質感、空間について、そしてそれらをどうやって全体的にまとめるかということに集中しているよ。 “音楽的な構造”についてはたいして考えていない。それは本質じゃない。異なるフィーリングを持った音楽を理解するためには、“音楽的な構造”が必要だ、と考える必要はない。皆、そこまで馬鹿じゃない。新しい“音楽”にチャレンジすべきだよ。
●ポーリーヌ・オリヴェイロスとフレッド・フリスの講義を受講していたんですね。どんな内容でした?
インプロヴァイズの時はオープンにしておく。フレッドはそのことを教えてくれたと思う。インプロヴァイズセッションをやる時は、前もってアイデアを用意するような事はするなってね。ポーリーヌは深い部分を聴くという所を教えてくれたよ。瞑想とリスニングの間にはたくさんのブリッジが存在していた。そういう時間だったよ。
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●こんにちは。調子はどうですか? 今はどちらに?
こんちわ。今はサンフランシスコのバーナルハイツにいる。カフェの外にある席で出来るだけ早くこのインタビューの返事を書こうとしているところ。というのもここ数日間は天気が本当に良くてね……。それでだらけて返事が遅れてしまった。太陽が僕を呼び続ける中、PCと一緒に引きこもっているのは困難だよ……。というわけで、外に出てPCと太陽と一緒にいるというわけ。
●現在のスケジュールはどうなっていますか?
Ghostly Internationalからリリースするための新しいアルバムの制作に取りかかっている。それと、North Valley Subconscious Orchestraや他のアーティストとのコラボレーションの仕事もある。あと、今年の四月からStars of the Lidと一緒にアメリカツアーをやるんでその準備もしている。
●「Ocean Fire」は12kからリリースされましたね。ついにワールドワイドな展開になりましたが、これはあなたにとってどのくらい重要な事でしょうか?
夢が現実になったって感じだよ。達成感で一杯だし、ワクワクしてもいる。
●「Ocean Fire」は2つの段階を経て制作されています。坂本龍一とのライブセッションによって生まれた基本となるトラック、そして数ヶ月間のスタジオワークによって磨かれていきました。つまり、自然に頭の中に生まれた風景を捉えて、細かい作業を経て仕上げる。実際、どうやって作業を進めたのでしょうか?
苦労は無かったよ。録音した基本となるトラックはとにかく濃かったんでね。僕がやった事の全ては、最終バージョンまでのガイドを務めたという事さ。
●「Ocean Fire」は長い時間を経て、あなたのここ2年間の創造性の様々な側面を網羅した上で実現したアルバムです。「Ocean Fire」には様々な影響が何の制限もなく入り込んできている作品だと認識していますか? それともあなたは厳しく分けてアルバムを作っているのでしょうか?、
僕はたくさんの物事に同時に取り組みがちなタイプでね。全てはお互いなんらかの形で影響し合っている。それぞれの作品で、常に制約を設けて取り組んではいるんだけど。どの作品にも自分なりの境界線があるんだよね。それが結果としてより深い所にある違うエリアへと僕を解放してくれる。
●私は、あなたと坂本龍一が今回の作品で模索していた方向はこうだという確信を持っていました。それは、より曖昧とした音像でありながら、水と海のサウンドを実に自然な方法で組み合わせて楽曲へと溶け込ませる。そんな方向性です。楽曲へと溶け込んだそのサウンドは水のサウンドを伴って音楽的な素材へと変貌したり、時折波のようなサウンドとなったりしていますね。これは意図的なアプローチですか? それとも“コンセプトアルバム”に没頭した結果、自然に生まれてきたものでしょうか?
えっと……、僕たちはただただ音楽を一緒に作ったってだけなんだよね。(コラボレーションという)夢から覚めた時、それは海というイメージの中で長い瞑想をしているようだった。それで僕たちは、海を汚してきた事への癒しというアイデアでリリースする事に決めた。個人的に、この作品にはホント引き込まれるよ。幸せ、悲しみ、恐怖、喜び、そして刺激に満ちている。全てがミックスされているよ。
●坂本龍一のサウンドを補ったり、その逆であったりと、そういったやり方だったのですか? このアルバムでは誰が何をプレイしているのか? それを教えて頂けますか?
彼がざっくりとピアノを弾いて、僕がそこに自分のギターを染みこませていった。インプロヴァイズ中に驚いた事と言えば、決定的な“キー”が存在しなかったという事だね。僕達はただただ感じたままにアウトプットをして、音響を持続させ続けた。自然に感じられるのであればどこであろうとね。それがメロディーと不協和音の面白いミックスにつながってるんだよね。レコーディングの最中、顔を見合わせて、「これはお前のサウンド? それとも俺の?」なんて思うことが何度かあったよ。
●坂本龍一のピアノにせよ、あなたのギターにせよ、聴いてパッとわかるような曲ではないですよね。これは、逆にサウンドのイメージをガッチリと 固めてしまうと、リスナーがサウンドに抱く連想を無意識的に台無しにしてしまうかもしれないからという事でしょうか?
特に話し合う事もなく、曖昧なサウンドに引き寄せられた。2人が望む道がそこにあった、というか。このサウンドって潮の満ち引きって感じだよね。
●「Ocean Fire」は汚れてしまった海に対する癒し、回復を意識した作品ですよね。そこに対する重要性を、私たちが再認識するようになってきたのはなぜだと思いますか? それと、あなたがリリースする最近の作品には水に関連した言葉が使われていますが、何か明確な意味があるのですか?
君が何を読んでそう聞いたのかはどうでもいいけどさ、これってグリーンピースキャンペーンとかそんなんじゃないことは確かだよ。ああいった活動に反対もしないけどね。このミステリアスで、広がりがあって、ワクワクするサウンドは自分自身の意識の中から生まれてきたものだよ。未知なる領域から生まれたサウンドって事。
少なくとも、僕にとって「Surf Boundaries」というタイトルは、水の動きとか、そういうイメージに関した事なんだよ。Beach Boysとは何の関係もない事は間違いない。なぜみんながあんなにもBeach Boysの作品を引き合いに出すのが理解出来ない。ボーカルハーモニーとサーフという単語の組み合わせがイコールBeach Boysって事? ナンセンスだなあ。実際のところつながりはあるけどね。5声ハーモニーとかサーフという言葉とか。これらがある種の意図を生み出してしまうのか……良い例だよね……。
●「Plants and Hearts on Room40」のレコーディングにおいて、ギターサウンドを様々な角度から捉えるために、独創的なアイデアを実践していますね。このアイデアが生まれた経緯は?
古い友人で、エンジニアのプロであるライアン・クリーマンがサンフランシスコにやってきて、MS recordingを紹介してくれたんだよ。その時、僕達はこれを試してみようって決めた。MS recordingによる音響の可能性、それを望んだ。実験の余地は大いにあり、結果は上々だったよ。
●「Ocean Fire」でのサウンドや「Plants and Hearts」で成し遂げた成果を見ると、ギターをもはや楽器として見なさないというアイデアをあなたは提示しているように思えます。音響の探求に使う複雑なツールは、今も自身の発見につながっている。この解釈であっていますか? そして仮にそうであるならば、今現在のあなたのチャレンジは何でしょうか?
ああ、今は“ドローンの日々”に浸っている。そんな感じかもね。(笑) 僕は常にあらゆるタイプを実践しているよ。君が言った作品ではギターを処理する事に夢中だったし、よりファンキーなサウンドも実践している。ギターという楽器を、僕は常にコードとソロの為の弦楽器、以上のものとして見てきた。そう見るようになったのは数年前からだね。ギターという楽器や、弦の響きの中にある、また違った方法というものにいつも遭遇している。もう間違いなくポイントはそこだよ。僕がここにいる理由はそれ。そういったサウンドでみんなを惹きつけるって事さ。
●また、そういった試みはあなたのヴィジュアル・アートと近い部分にありますよね。2つのエリアは直接的に影響を与えあうのですか? それとも、ほとんど関係は無い? もしくは、頭の中にある、ある種のイメージに沿って曲を作るのですか?
根っこにある部分は全部一緒だよ。僕はそう思っている。違いはエネルギーのフォームというか……。意識の方向性が違うんだよ。最近は映像を以前にも増して撮るようになっているけど、これがまたサウンドにも反映されるんだよね。それと、自分のギターサウンドのリズムに合わせて写真を結びつける(パラパラ漫画のイメージ?)、ということもよくやるよ。L.Aでやった「Plants and Hearts」のライブの時は5000枚以上の写真を使った。植物と光の写真をランダムに再生出来るようにmax/msp/jitterのパッチを作ったんだ。そういった部分に、今度の4月、5月にやるStars of the LidとのU.Sツアーではもっと力を入れる。
作曲に関しては、伝統的な方法というよりは、もっと彫刻とか絵画的なアプローチで取り組む。形、色、質感、空間について、そしてそれらをどうやって全体的にまとめるかということに集中しているよ。 “音楽的な構造”についてはたいして考えていない。それは本質じゃない。異なるフィーリングを持った音楽を理解するためには、“音楽的な構造”が必要だ、と考える必要はない。皆、そこまで馬鹿じゃない。新しい“音楽”にチャレンジすべきだよ。
●ポーリーヌ・オリヴェイロスとフレッド・フリスの講義を受講していたんですね。どんな内容でした?
インプロヴァイズの時はオープンにしておく。フレッドはそのことを教えてくれたと思う。インプロヴァイズセッションをやる時は、前もってアイデアを用意するような事はするなってね。ポーリーヌは深い部分を聴くという所を教えてくれたよ。瞑想とリスニングの間にはたくさんのブリッジが存在していた。そういう時間だったよ。
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2011-11-12 :
音楽 :
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BJ Nilsen インタビュー 2010年4月13日
アルバム「The Invisible City」について。BJ Nilsenにとって都会とは何か? 彼の音楽的価値観を決定づけたものは何か? そしてフィールドレコーディングについて。
※著作権について:元記事を書いた本人Tobias Fischerより、翻訳記事の掲載と、画像の使用の許可を頂いて紹介しております。
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●電子音楽がシーンを席巻した90年代とは、刺激に満ちた現代都市という存在の裏付けでもありました。そこには多くの現代アートがありました。しかしその一方で、田舎の美しさをフォーカスするという衝動も強くあったとも感じられます。
そうだね。田舎という存在は間違いなく必要だ。私はそこで育ったわけだし。ただし、良い環境でなければならない。田舎も都会もどっちも好きだよ。
●ストックホルムに住んでいたという事が独特のやり方として、音楽に対するあなたの視点を形成した。そう感じますか?
今はたくさんの場所を転々とする生活をしていて、その前の3年間はベルリンに住んでいた。だが、私の本質を形成した場所は間違いなくストックホルムだよ。ある程度のところまではだが。ストックホルムは空間的には非常に開放的な都市だ。水と光に満ちている。だからリラックスして仕事に取り組めたし、集中するのも楽だった。しかし困難も数多くある。スモールタウン・シンドローム(※世間体を気にしすぎるという意味)という問題とか。保守的、もしくは無難とでも言いかえるべきか。
90年代から00年代にかけては、たくさんの新たな動きがあった。私も、パフォーマンス、コンサートをやる側としてそのムーブメントの一端を担っていたよ。そのほとんどはFylkingenという場所から発信されていた。未知の音楽との出会いが多くあり、私達はまさに渦中にいるのだなと感じたよ。多くの音楽家や芸術家と出会える刺激的な時代だった。
●何が原因で都会に惹きつけられたり、不安を覚えたりするのでしょうか?
田舎で育った私にとって、都会とは常にエネルギーに満ちあふれた場所であり、憧れの対象であった。しかし、都市とは危険な場所にも、美しい場所にもなり得る存在だよ。それと、都会という場所は絶え間なく“ドローン的”に動いている。その動きがもたらす瞑想的な雰囲気が好きだね。
●そもそも、都会とは自然に反した有機体という事でしょうか?
今日、サウンドがいかに人間に影響を及ぼすか? そこへの認識がデザイナーや建築家の間で非常に大きいものになっている。しかし、店やレストランから絶え間なく吐き出されてくるサウンドや音楽には相変わらずうんざりさせられるね。まぁそういったものはすぐにでもどうにか出来るだろうが、どうにも出来ないくらい社会にとけこんでしまっているサウンドもある。結局、都会というのは我々が作ったと考えるのが自然じゃないだろうか。自然に反した有機体だよ。都会のほとんどは、ゆっくりとではあるが徐々に手がつけられない状態になっている。私達がめちゃくちゃにしている、とは言わないがね。副作用、それか思わぬ結果。都会に対する印象の大半はそれだと思う。
●目を閉じて耳を澄ましてみるとわかりますが、都会の大部分は車や機械の騒音に支配されています。多少の差はあれど、世界中の都会のサウンドはどれも似たようなものでしょうか?
うん、思うね。特に欧米。この点については、盲目の人の意見も聞いてみたいところだ。私は町中で耳を澄ますという行動から都会について何かを学び取れるとは思えないな。多くの層が重なって出来ている存在からね……。匂いからのほうが学べると思うよ。(笑)
●映像が持つ刺激力と比べて、サウンドが持つ影響力は概して過大に評価されていると言えますか? それとも過小評価でしょうか?
私が思うに、サウンドに対して我々が必要とする事はさらなる教育と意識の集中だよ。大部分の人は漫然としたサウンドにうんざりしている。サウンドとは匂いみたいなもので、より広大な記憶を呼び起こすきっかけになり得るものだ。私はそう考えている。一度ある女性が、ライブが終わった後に私のところへ来て “あなたの音楽で出産時の記憶が蘇りました”と言ってきた事があった。
●日常にあるサウンドを1つの音楽の形態として捉える事は出来ないものでしょうか?
何を聴くかにもよる。いかなる環境でもサウンドに対してその考えを順応させられるのであれば、それは可能だろうね。しかし、マイクのスイッチを入れればどこででも面白いサウンドが得られるというものではない。
●以前、別のインタビュー記事で“都会のサウンドに真の意味で波長を合わせる。それが“気付き”であり、スピリチュアルであるという事だ“と仰っていましたね。「The Invisible City」制作の途中で具体的に何があったのでしょうか?
フィールドレコーディングを行う時は、概してそうであると言えるね。だが特定のターゲットを決めずにレコーディングをした場合も、信じられないような結果を得る事は、ある。1年前ノルウェーのベルゲンに1週間滞在していた時の話だが、近所にある山を散歩で登ってみようと思い立った時があった。その散歩の途中、私は偶然メインの山道からそれて別の道に入り込んでしまった。その後、木々の間を奥へ奥へと進んでみたんだ。そしたら突然、遠く離れた場所から何とも恐ろしい何かがきしむ音が聞こえてきた。正確な場所を特定するのは非常に困難だったが、時間にして20分ほどだろうか、私はその音が聞こえてくる場所を発見した。2本の朽ちた木がお互い寄りかかってきしんだ音を出していたんだよ。私はその木の空洞となった中身にマイクをセットして、きしむ音を録音した。まさに信じられないような結果だ。これは「The Invisible City」で聴く事が出来る。後ちょうどその頃、私は日本の山の精霊や鬼について書かれた本を読んでもいたよ。
●今作「The Invisible City」においては、音源がどこから生まれたかは問題ではない。と仰っていましたね。とはいえ、あなたはどういった類の響きを求めているのでしょうか?
私の場合、自分が望むサウンドは常にミックスの作業を通して得る。より具体的ではっきりとした音源を欲してもいたけど。それと、バイノーラルエフェクト(両耳効果)や心理音響といった要素にも踏み込んだ。とはいえ、あらゆる全てのサウンドは慎重に組み立てられ編集してある。
●クリス・ワトソンとのコラボレーションが、今作のフィールドレコーディングに対しての面白い視点を与えたのでしょうか?
それは今回のアルバムに限った話ではないだろうね。クリスとは2000年のアルバム「Wind」からコラボレーションをやっているわけだしね。彼と一緒にいるのは勉強になる。常に強烈な刺激となっていたよ。
●「The Invisible City」とは、動物、自然、そして人間の手によるテクノロジーの共存というテーマのコンセプトアルバムなのでしょうか?
関連性はある。今回のコンセプトは曲作りで扱っていた素材を通して生まれた。私は小さな出来事に集中していたんだよ。ひょっとしたら誰も目を向けないような小さな出来事にね。
BJ Nilsen official website
http://www.bjnilsen.com/
BJ Nilsen myspace
http://www.myspace.com/bjnilsen
BJ Nilsen Facebook
http://www.facebook.com/pages/B-J-Nilsen/109267299091716
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※著作権について:元記事を書いた本人Tobias Fischerより、翻訳記事の掲載と、画像の使用の許可を頂いて紹介しております。
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●電子音楽がシーンを席巻した90年代とは、刺激に満ちた現代都市という存在の裏付けでもありました。そこには多くの現代アートがありました。しかしその一方で、田舎の美しさをフォーカスするという衝動も強くあったとも感じられます。そうだね。田舎という存在は間違いなく必要だ。私はそこで育ったわけだし。ただし、良い環境でなければならない。田舎も都会もどっちも好きだよ。
●ストックホルムに住んでいたという事が独特のやり方として、音楽に対するあなたの視点を形成した。そう感じますか?
今はたくさんの場所を転々とする生活をしていて、その前の3年間はベルリンに住んでいた。だが、私の本質を形成した場所は間違いなくストックホルムだよ。ある程度のところまではだが。ストックホルムは空間的には非常に開放的な都市だ。水と光に満ちている。だからリラックスして仕事に取り組めたし、集中するのも楽だった。しかし困難も数多くある。スモールタウン・シンドローム(※世間体を気にしすぎるという意味)という問題とか。保守的、もしくは無難とでも言いかえるべきか。
90年代から00年代にかけては、たくさんの新たな動きがあった。私も、パフォーマンス、コンサートをやる側としてそのムーブメントの一端を担っていたよ。そのほとんどはFylkingenという場所から発信されていた。未知の音楽との出会いが多くあり、私達はまさに渦中にいるのだなと感じたよ。多くの音楽家や芸術家と出会える刺激的な時代だった。
●何が原因で都会に惹きつけられたり、不安を覚えたりするのでしょうか?
田舎で育った私にとって、都会とは常にエネルギーに満ちあふれた場所であり、憧れの対象であった。しかし、都市とは危険な場所にも、美しい場所にもなり得る存在だよ。それと、都会という場所は絶え間なく“ドローン的”に動いている。その動きがもたらす瞑想的な雰囲気が好きだね。
●そもそも、都会とは自然に反した有機体という事でしょうか?
今日、サウンドがいかに人間に影響を及ぼすか? そこへの認識がデザイナーや建築家の間で非常に大きいものになっている。しかし、店やレストランから絶え間なく吐き出されてくるサウンドや音楽には相変わらずうんざりさせられるね。まぁそういったものはすぐにでもどうにか出来るだろうが、どうにも出来ないくらい社会にとけこんでしまっているサウンドもある。結局、都会というのは我々が作ったと考えるのが自然じゃないだろうか。自然に反した有機体だよ。都会のほとんどは、ゆっくりとではあるが徐々に手がつけられない状態になっている。私達がめちゃくちゃにしている、とは言わないがね。副作用、それか思わぬ結果。都会に対する印象の大半はそれだと思う。
●目を閉じて耳を澄ましてみるとわかりますが、都会の大部分は車や機械の騒音に支配されています。多少の差はあれど、世界中の都会のサウンドはどれも似たようなものでしょうか?
うん、思うね。特に欧米。この点については、盲目の人の意見も聞いてみたいところだ。私は町中で耳を澄ますという行動から都会について何かを学び取れるとは思えないな。多くの層が重なって出来ている存在からね……。匂いからのほうが学べると思うよ。(笑)
●映像が持つ刺激力と比べて、サウンドが持つ影響力は概して過大に評価されていると言えますか? それとも過小評価でしょうか?
私が思うに、サウンドに対して我々が必要とする事はさらなる教育と意識の集中だよ。大部分の人は漫然としたサウンドにうんざりしている。サウンドとは匂いみたいなもので、より広大な記憶を呼び起こすきっかけになり得るものだ。私はそう考えている。一度ある女性が、ライブが終わった後に私のところへ来て “あなたの音楽で出産時の記憶が蘇りました”と言ってきた事があった。
●日常にあるサウンドを1つの音楽の形態として捉える事は出来ないものでしょうか?
何を聴くかにもよる。いかなる環境でもサウンドに対してその考えを順応させられるのであれば、それは可能だろうね。しかし、マイクのスイッチを入れればどこででも面白いサウンドが得られるというものではない。
●以前、別のインタビュー記事で“都会のサウンドに真の意味で波長を合わせる。それが“気付き”であり、スピリチュアルであるという事だ“と仰っていましたね。「The Invisible City」制作の途中で具体的に何があったのでしょうか?
フィールドレコーディングを行う時は、概してそうであると言えるね。だが特定のターゲットを決めずにレコーディングをした場合も、信じられないような結果を得る事は、ある。1年前ノルウェーのベルゲンに1週間滞在していた時の話だが、近所にある山を散歩で登ってみようと思い立った時があった。その散歩の途中、私は偶然メインの山道からそれて別の道に入り込んでしまった。その後、木々の間を奥へ奥へと進んでみたんだ。そしたら突然、遠く離れた場所から何とも恐ろしい何かがきしむ音が聞こえてきた。正確な場所を特定するのは非常に困難だったが、時間にして20分ほどだろうか、私はその音が聞こえてくる場所を発見した。2本の朽ちた木がお互い寄りかかってきしんだ音を出していたんだよ。私はその木の空洞となった中身にマイクをセットして、きしむ音を録音した。まさに信じられないような結果だ。これは「The Invisible City」で聴く事が出来る。後ちょうどその頃、私は日本の山の精霊や鬼について書かれた本を読んでもいたよ。
●今作「The Invisible City」においては、音源がどこから生まれたかは問題ではない。と仰っていましたね。とはいえ、あなたはどういった類の響きを求めているのでしょうか?
私の場合、自分が望むサウンドは常にミックスの作業を通して得る。より具体的ではっきりとした音源を欲してもいたけど。それと、バイノーラルエフェクト(両耳効果)や心理音響といった要素にも踏み込んだ。とはいえ、あらゆる全てのサウンドは慎重に組み立てられ編集してある。
●クリス・ワトソンとのコラボレーションが、今作のフィールドレコーディングに対しての面白い視点を与えたのでしょうか?
それは今回のアルバムに限った話ではないだろうね。クリスとは2000年のアルバム「Wind」からコラボレーションをやっているわけだしね。彼と一緒にいるのは勉強になる。常に強烈な刺激となっていたよ。
●「The Invisible City」とは、動物、自然、そして人間の手によるテクノロジーの共存というテーマのコンセプトアルバムなのでしょうか?
関連性はある。今回のコンセプトは曲作りで扱っていた素材を通して生まれた。私は小さな出来事に集中していたんだよ。ひょっとしたら誰も目を向けないような小さな出来事にね。
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2011-07-05 :
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Solo Andata インタビュー 2010年9月29日
インタビューのメイントピックは、三枚目となる作品「Ritual」について。プレスリリースにある"ヒト癌細胞の振動"とは何か? どういう経緯があって「Ritual」の4曲はそれぞれの名義でクレジットされているのか? その他にはアートワークについて、ライブ、ツアー、そして「Live in Japan」というイベントについて。
※著作権について:元記事を扱っているFlaud Radioより、翻訳記事の掲載と、画像の使用の許可を頂いて紹介しております。
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●今作では、フィールドレコーディングの素材が強烈な個性を放っているように感じられます。全ての素材は同じ場所でレコーディングされたものでしょうか? それともこれまでに集めておいたものでしょうか?
フィールドレコーディング素材のほとんどは、インジダップ(西オーストラリア州にあるビーチ)で録音されたものだよ。夏にレコーディングした。そこって12kからリリースしたアルバムの時にフィールドレコーディングをした場所、カナルロックにとても近い。
あぁ、そういえば"Woods,Flesh,Bone"で使われた素材は今回と同じ場所でレコーディングされたものだね。
●プレスリリースには、この作品は"ヒト癌細胞の振動"が有機的なサウンドとして使われた。とあります。この事について詳しく教えて頂きたいのですが。
ポール:超高感度顕微鏡を覗いた世界が由来となっている。ナノメカ技術の運動データをサウンドとして表現したというか。その細胞とは骨癌の細胞の事を指している。不規則な度合いで奇妙に震えていたよ。
●アルバムの全体像を把握するための、意図的な試みはあったのですか? それともムードの中から生まれたのですか?
明確なプランを持って作曲していたとは思わないなぁ……。とは言うものの、初期の段階では"ダーク"な作品になる事ははっきりしていた。そのアイデアに囚われたという事は無いけど。作りながら進化したというかさ。
制作に取りかかり始めた頃は僕達それぞれがアイデアを用意していたと思う。トーンもしくはムードに関して、この作品は2つの大きく異なるサウンドを持っていたであろうというアイデアだよ。けど、それぞれの使用機材から素材に至る全てにおいて、全く違った状況で作曲のアプローチを取った時でも、いわゆるSolo Andataとしての美学ってのは表れてくるんだよね。その美学については、長い共同作業を経て発展させてきたよ。
●ケイン、今作の最後の曲(Incantare)のクレジットはあなたになっていますね。そして他の3曲はポールです。 別々に作業をして、それから2人で仕上げるというやり方だったのでしょうか? それともお互いが完成させた曲を持ち寄るといったやり方だったのでしょうか?
ケイン:その2つを少し組み合わせてみた。過去の作品では、メールや電話で頻繁に連絡を取り合いながらFTPでファイルをやりとりするといったやり方で、一部は一緒に、一部は別々に作っていた。あの時は同じ空間で曲作りをするのが不可能な状態だったんだ。今は、そのやり方から離れる必要があったなって考えている。それで、僕達が出した答えは、お互い意見を求めつつも曲作りは自分で行うという事だった。例えば "Incantare"は、元々は2つに分かれていて、そこにもう1曲あって、それらで1つの長い"事の成り行き"や"変異"を作り出す。そういう曲だった。トランス状態での反復、という点に意識を集中しながらね。ポールはどの段階においても僕の音源を聴き、アイデアを途中途中で加えてくれた。けどそれは作曲そのものに関わったという事ではないんだよ。意見を求めただけという事さ。同様に、ポールの曲でも僕の意見が取り入れられている。僕達2人は離れているが作品は1つにまとまっている。そしてお互いが全然違う手法を使っていたとしてもサウンドの調和は正しく取れている。そこが良いよね。
●マスタリングについてですが、そのプロセスで独自性を発展させることが出来ましたか? ここが強調されたり、または最低限に抑えられたりと、そういった事はあったのでしょうか?
ジェイムス(プロトキン)は輝かしい結果を残してくれた。彼に"特別な指示はあるか?"って聞かれはしたけど、彼の判断を直感で信じた。彼は僕達が賞賛するたくさんの人たちと仕事をしてきたからね。だから、とてもリラックスして仕上がりを待つことが出来た。どこかが特に強調されたとか、最低限に抑えられているとか、僕達はどうこう言えないな。彼は全てのサウンドを正しく仕上げた。それだけさ。
特筆すべき点は、デジタルとレコードでそれぞれに適したミックスがされているという事だよ。レコードバージョンの為に僕達はむちゃくちゃに低音をブーストしたんだけど、あのままだったらレコードの針はぶっ飛んでいただろう。ジェイムスはその低音を、ツボを外す事なくどうにかして整えて捉えたんだ。
●アートワークも印象的です。アルバムの背景を意図する重要な意味があるのでしょうか?
アートワークは儀式が由来になっている。儀式というタイトルは、2人の話し合いや曲に対する解釈からどんどん表面化してきた。レコードには僕達なりの儀式に対するフィーリングが込められているからね。例えば"Incantare"でやりたかった事は、カルト的な儀式やそういったものに引き込まれてトランス状態に陥った人間、そういった要素を取り入れる事だったわけだしね。
それと僕達はイメージも見ていた。それって画家のクリスがアートワークを考えるためのイメージで、昔の神話のイラストや、カルト儀式、それに何枚かのBarbara and Michael Leisgenの写真なんかをまとめたものだ。そのイメージから得たアイデアやコンセプトと、クリス自身の曲に対する解釈の結果があのアートワークとなった。"儀式の中、空をつかむ2本の手"だよ。
●Desire Pathレーベルと関わるようになったきっかけは何でしょうか?
Desire Pathっていうリリースをレコードのみに限定しているレーベルがあってね。Solo AndataのMyspace上で、Desire Pathから自分たちの作品をリリース出来たら、なんて書いたらマイケル・ヴィトレイノ本人からメールが来たんだ。2つ返事で決まったよ。作品をレコードでリリースするって密かな夢だったんだよね。今まで経験がなかったし。マイケルとの仕事も超やりやすかったよ。彼は12kやTypeといったレーベルのように、"こうありたい"という願望に対して最良の選択をしてきた男さ。
●Facebookのページを見ると、あなた方2人は同じタイムゾーンに住んでいる事がわかりますね。住んでいる場所は近いのですか? 伝達手段はインターネットでしょうか?
距離はもの凄く近づいている。約2000kmくらいまで近づいている。けどまだ住んでいる場所は違う(メルボルンとシドニー)。当然インターネットが一番の伝達手段となっているよ。ラッキーな事に、オーストラリアでのインターネット事情はより良く、そしてより速くなっている。問題はどんどん少なくなってきているよ。長距離電話はこのレコードでもう止めにしようとは言っているんだけどね。
●リリースに伴うツアーは予定されているのですか?
オーストラリアの東海岸(ブリズベン、シドニー、メルボルン)のツアーを考えている。今年でポールは大学を修了するんでね。それと、希望としては来年初頭から半ばにかけてNYでまたライブをやりたい。それからヨーロッパと日本を廻りたいね。オーストラリアのアーティストにとって何が困難かというと、どこへ行くにも遠くて、金がかかるという事だよ。オーストラリア自体大きく広がっているから、国内ツアーですら高くついてしまうんだ。
●ライブについてですが、レコーディングを再現するやり方ですか? それとも即興ですか?
"即興の再現"って感じかなぁ? 2人とも同じ機材を何度も使うんでサウンドはいつも似た感じになる。レコーディングした曲を僕達2人だけで再現するのはほぼ不可能な話だね。全てのループやら何やらを揃えでもしない限り。そんなことに興味は無いけど。僕達の目的はあくまでも"演奏する"事だから。10回のうち9回はマックを見せかけのループペダルやエフェクターとして使うよ。コンピューターの使用を全て放棄する事だってあるし!
●「Live in Tokyo」というイベントについて教えて頂けますか?
今年の初めにテイラー・デュプリー、Minamo、Sawako、そしてMoskitooとライブをやる機会があった。目を見張るような場所だったよ。六本木にある光明寺という古いお寺なんだけど、僕達が今までにライブをやった会場の中でも特に素晴らしい場所だった。もう一つはフランク・ロイド・ライトがデザインしたという古い講堂。(自由学園明日館の事)。この時の音源は今年の末に12kからリリースされる予定だよ。ホント楽しみだ。僕たちは約6ヶ月もの間一緒にプレイをしていなかったし、冗談抜きでリハーサルもやっていなかった。それに、ライブの為に持ってくる楽器やら奇妙な機材やらに関しても、お互い全く把握していなかった。それでも全てはうまくいって、ほぼ間違いなく僕たちのベストライブと言える出来になったんだ。だからライブアルバムのリリースに超エキサイトしている。
●言える範囲で結構なのですが、他にリリースを控えているものはありますか?
「Ritual」の他には、僕達でHessienの新しい作品で1曲リミックスを手掛けたよ。(Gazed and Pale Reflections)。ケインは、Murralin Lane、Library Tapes のデイヴィッド・ウェングレンとコラボレーションをしている。あと彼はドキュメンタリーのサウンドトラックも手掛けている。「Anatomy: Face」というタイトルで監督はアデル・ウィルクス。来年初頭に公開される予定だよ。
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●今作では、フィールドレコーディングの素材が強烈な個性を放っているように感じられます。全ての素材は同じ場所でレコーディングされたものでしょうか? それともこれまでに集めておいたものでしょうか?フィールドレコーディング素材のほとんどは、インジダップ(西オーストラリア州にあるビーチ)で録音されたものだよ。夏にレコーディングした。そこって12kからリリースしたアルバムの時にフィールドレコーディングをした場所、カナルロックにとても近い。
あぁ、そういえば"Woods,Flesh,Bone"で使われた素材は今回と同じ場所でレコーディングされたものだね。
●プレスリリースには、この作品は"ヒト癌細胞の振動"が有機的なサウンドとして使われた。とあります。この事について詳しく教えて頂きたいのですが。
ポール:超高感度顕微鏡を覗いた世界が由来となっている。ナノメカ技術の運動データをサウンドとして表現したというか。その細胞とは骨癌の細胞の事を指している。不規則な度合いで奇妙に震えていたよ。
●アルバムの全体像を把握するための、意図的な試みはあったのですか? それともムードの中から生まれたのですか?
明確なプランを持って作曲していたとは思わないなぁ……。とは言うものの、初期の段階では"ダーク"な作品になる事ははっきりしていた。そのアイデアに囚われたという事は無いけど。作りながら進化したというかさ。
制作に取りかかり始めた頃は僕達それぞれがアイデアを用意していたと思う。トーンもしくはムードに関して、この作品は2つの大きく異なるサウンドを持っていたであろうというアイデアだよ。けど、それぞれの使用機材から素材に至る全てにおいて、全く違った状況で作曲のアプローチを取った時でも、いわゆるSolo Andataとしての美学ってのは表れてくるんだよね。その美学については、長い共同作業を経て発展させてきたよ。
●ケイン、今作の最後の曲(Incantare)のクレジットはあなたになっていますね。そして他の3曲はポールです。 別々に作業をして、それから2人で仕上げるというやり方だったのでしょうか? それともお互いが完成させた曲を持ち寄るといったやり方だったのでしょうか?
ケイン:その2つを少し組み合わせてみた。過去の作品では、メールや電話で頻繁に連絡を取り合いながらFTPでファイルをやりとりするといったやり方で、一部は一緒に、一部は別々に作っていた。あの時は同じ空間で曲作りをするのが不可能な状態だったんだ。今は、そのやり方から離れる必要があったなって考えている。それで、僕達が出した答えは、お互い意見を求めつつも曲作りは自分で行うという事だった。例えば "Incantare"は、元々は2つに分かれていて、そこにもう1曲あって、それらで1つの長い"事の成り行き"や"変異"を作り出す。そういう曲だった。トランス状態での反復、という点に意識を集中しながらね。ポールはどの段階においても僕の音源を聴き、アイデアを途中途中で加えてくれた。けどそれは作曲そのものに関わったという事ではないんだよ。意見を求めただけという事さ。同様に、ポールの曲でも僕の意見が取り入れられている。僕達2人は離れているが作品は1つにまとまっている。そしてお互いが全然違う手法を使っていたとしてもサウンドの調和は正しく取れている。そこが良いよね。
●マスタリングについてですが、そのプロセスで独自性を発展させることが出来ましたか? ここが強調されたり、または最低限に抑えられたりと、そういった事はあったのでしょうか?
ジェイムス(プロトキン)は輝かしい結果を残してくれた。彼に"特別な指示はあるか?"って聞かれはしたけど、彼の判断を直感で信じた。彼は僕達が賞賛するたくさんの人たちと仕事をしてきたからね。だから、とてもリラックスして仕上がりを待つことが出来た。どこかが特に強調されたとか、最低限に抑えられているとか、僕達はどうこう言えないな。彼は全てのサウンドを正しく仕上げた。それだけさ。
特筆すべき点は、デジタルとレコードでそれぞれに適したミックスがされているという事だよ。レコードバージョンの為に僕達はむちゃくちゃに低音をブーストしたんだけど、あのままだったらレコードの針はぶっ飛んでいただろう。ジェイムスはその低音を、ツボを外す事なくどうにかして整えて捉えたんだ。
●アートワークも印象的です。アルバムの背景を意図する重要な意味があるのでしょうか?アートワークは儀式が由来になっている。儀式というタイトルは、2人の話し合いや曲に対する解釈からどんどん表面化してきた。レコードには僕達なりの儀式に対するフィーリングが込められているからね。例えば"Incantare"でやりたかった事は、カルト的な儀式やそういったものに引き込まれてトランス状態に陥った人間、そういった要素を取り入れる事だったわけだしね。
それと僕達はイメージも見ていた。それって画家のクリスがアートワークを考えるためのイメージで、昔の神話のイラストや、カルト儀式、それに何枚かのBarbara and Michael Leisgenの写真なんかをまとめたものだ。そのイメージから得たアイデアやコンセプトと、クリス自身の曲に対する解釈の結果があのアートワークとなった。"儀式の中、空をつかむ2本の手"だよ。
●Desire Pathレーベルと関わるようになったきっかけは何でしょうか?
Desire Pathっていうリリースをレコードのみに限定しているレーベルがあってね。Solo AndataのMyspace上で、Desire Pathから自分たちの作品をリリース出来たら、なんて書いたらマイケル・ヴィトレイノ本人からメールが来たんだ。2つ返事で決まったよ。作品をレコードでリリースするって密かな夢だったんだよね。今まで経験がなかったし。マイケルとの仕事も超やりやすかったよ。彼は12kやTypeといったレーベルのように、"こうありたい"という願望に対して最良の選択をしてきた男さ。
●Facebookのページを見ると、あなた方2人は同じタイムゾーンに住んでいる事がわかりますね。住んでいる場所は近いのですか? 伝達手段はインターネットでしょうか?
距離はもの凄く近づいている。約2000kmくらいまで近づいている。けどまだ住んでいる場所は違う(メルボルンとシドニー)。当然インターネットが一番の伝達手段となっているよ。ラッキーな事に、オーストラリアでのインターネット事情はより良く、そしてより速くなっている。問題はどんどん少なくなってきているよ。長距離電話はこのレコードでもう止めにしようとは言っているんだけどね。
●リリースに伴うツアーは予定されているのですか?
オーストラリアの東海岸(ブリズベン、シドニー、メルボルン)のツアーを考えている。今年でポールは大学を修了するんでね。それと、希望としては来年初頭から半ばにかけてNYでまたライブをやりたい。それからヨーロッパと日本を廻りたいね。オーストラリアのアーティストにとって何が困難かというと、どこへ行くにも遠くて、金がかかるという事だよ。オーストラリア自体大きく広がっているから、国内ツアーですら高くついてしまうんだ。
●ライブについてですが、レコーディングを再現するやり方ですか? それとも即興ですか?
"即興の再現"って感じかなぁ? 2人とも同じ機材を何度も使うんでサウンドはいつも似た感じになる。レコーディングした曲を僕達2人だけで再現するのはほぼ不可能な話だね。全てのループやら何やらを揃えでもしない限り。そんなことに興味は無いけど。僕達の目的はあくまでも"演奏する"事だから。10回のうち9回はマックを見せかけのループペダルやエフェクターとして使うよ。コンピューターの使用を全て放棄する事だってあるし!
●「Live in Tokyo」というイベントについて教えて頂けますか?
今年の初めにテイラー・デュプリー、Minamo、Sawako、そしてMoskitooとライブをやる機会があった。目を見張るような場所だったよ。六本木にある光明寺という古いお寺なんだけど、僕達が今までにライブをやった会場の中でも特に素晴らしい場所だった。もう一つはフランク・ロイド・ライトがデザインしたという古い講堂。(自由学園明日館の事)。この時の音源は今年の末に12kからリリースされる予定だよ。ホント楽しみだ。僕たちは約6ヶ月もの間一緒にプレイをしていなかったし、冗談抜きでリハーサルもやっていなかった。それに、ライブの為に持ってくる楽器やら奇妙な機材やらに関しても、お互い全く把握していなかった。それでも全てはうまくいって、ほぼ間違いなく僕たちのベストライブと言える出来になったんだ。だからライブアルバムのリリースに超エキサイトしている。
●言える範囲で結構なのですが、他にリリースを控えているものはありますか?
「Ritual」の他には、僕達でHessienの新しい作品で1曲リミックスを手掛けたよ。(Gazed and Pale Reflections)。ケインは、Murralin Lane、Library Tapes のデイヴィッド・ウェングレンとコラボレーションをしている。あと彼はドキュメンタリーのサウンドトラックも手掛けている。「Anatomy: Face」というタイトルで監督はアデル・ウィルクス。来年初頭に公開される予定だよ。
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2011-06-17 :
音楽 :
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Oren Ambarchi インタビュー 2002年3月
90年代、ジャパノイズシーンとも深い関わりを持ち、Phlegm、Menstruation Sistersでは轟音を鳴らしてきた。オーレン・アンバーチが歩んできた道のりとジャンクサウンドは切っても切り離せない関係である。また、近年ではSunn O)))のメンバーとしても有名だ。その一方で、自身のソロアルバムでは“間”から浮かび上がった1つのトーンをじっくりと観察し、実験を繰り返し、1つの楽曲へと育てていく。ごく普通のロック少年はいつ、どこで、何をきっかけに実験音楽の世界に目覚めてしまったのだろうか?
※著作権について:記事を掲載しているサイトPerfect Sound Foreverから、翻訳記事の掲載と、画像の使用の許可を頂いて紹介しております。
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●Living Colourの再結成ライブを観る前にNYから出て行ってしまったとは気の毒ですね。セントラルパークのSummer Stageでライブをやったんですよ。過去に戻った感覚でした。あのバンドは私の高校時代のお気に入りでしたから。
あー、オレも喜んで行っていただろうなぁ。オレだってあのバンドが大好きだったんだぜ。全て揃えていたよ。「Stain」の別バージョンも持っていたし。オーストラリア盤ではヴァーノン・リードのソロがもっとイカれているんだ。
●アメリカでは売られていなかったバージョンですよね。(あのライブの時)ロックって名前のマッチョな男性の隣にいたんですが、Living Colourと遊んだ時の話をちょっとだけ聞かせてくれましたよ。あと、彼のバンドのフライヤーも貰いました。そのフライヤーには、“この星にはレジー・シルヴェスターをフィーチャーしたCOCKDIESELのようなバンドは他に存在しない”なんて書かれていましたね。
クソッ、マジかよ。オレ、前にレジ―の話しをした事ってあったっけ?
●いえ、ないですね。
イェシーバー大学の学生としてブルックリンに住んでいた時、夜になるとよくライブを観に行っていた。でさ、オレが観に行くライブには必ずレジーがいたんだよな。初めて出会ったのはPowertoolsのライブだった。その後ヤツとは親友になったよ。一緒にCBGBにたむろして、The Black Rock Coalitionのライブを全部観たりした。90年、91年頃の話さ。クールな事はヤツからたくさん教わったんだ。クラウンハイツのユダヤ教徒と、ベッドフォード・スタイベサントの黒人がつるんでいるなんて、さぞかし奇妙な2人組に見えたはずだ。まぁ結局は疎遠になっちまったが……。
●NYにいたとき、何について学んでいたのかを教えて下さい。
えっと、10代の頃はユダヤ教の研究に明け暮れていた。音楽でハマっていたのはジョン、アリス・コルトレーンだ。その後は順に(アルバート)アイラー、(セシル)テイラー、(アーチー)シェップ、他にもいろいろ……と聴くようになった。ユダヤ教の研究に没頭し、夜はジャズ系のアーティストのライブをチェックする。それはオレにとって、しばらくの間は最高の組み合わせだったよ。セシル・テイラーのライブはおよそ6、7回は観たと思う。だがそこから徐々にではあるがロックへと戻っていった。それと、たくさんのパンクのライブ、あとThe Black Rock Coalitionのライブ。フリージャズの世界とも少しクロスオーヴァーしていたな。
●以前、生活を共にしていた時、あなたが朝にとっていた行動について教えて欲しいのですが。気にはしていませんでしたが、あれは何だったのでしょうか?
ユダヤ教の儀式だよ。Tefillinを身につけていたんだ。革製の紐と2つの箱で出来たヤツでね。箱の中には4つの聖句が書かれた羊皮紙が入っている。その箱は、1つは左腕の心臓と同じ高さのところに身につける。もう一つは頭にだ。自分の知性と心を神へ委ねる、という事を現しているんだよ。
●スピリチュアルな儀式といえば、あのズタズタに切り刻まれているギターについてですが……。
話せば長くなる。10代の頃に遡るんだが、あの頃仲間内の何人かはジャムがやれる部屋を持っていてね。でさ、機材は必ず部屋に置いていくもんだから、オレ達の機材は全て部屋にある状態だった。いわゆる学校の“メタルゴッドギタリスト”のギターもそこにあったよ。ある日その“メタルゴッドギタリスト”は高慢ちきなジャズ野郎になっちまってさ、ジョージ・ベンソンだのそんなのを弾き始めてさ。まぁともかく、ヤツの痛いワッシュバーンのギターは部屋に何年間も取り残された状態だった。
その後フリージャズ系のライブをやっていたある日、何か電子音が欲しいって思って、その時に部屋を見たらワッシュバーンのギターがあった。それ以来使っている。のこぎりで半分にしたり、他のピックアップを乗せてみたり、後はここでは言えないような事とかね。なんせタダだしな。(笑) 自分の衝動を押さえる事が出来なかったんだ。
そういやあオレがライブをやり始めた頃、持ち主が観に来た事があったな。ヤツはその時ワッシュバーンのギターを観るのを楽しみにしていたよ。実際のところ、“もういっぺんあいつが欲しい”なんて言っていやがってね。それがオレがギターケースを開いた時のヤツの顔ときたら!!!! 叫び声を上げて、 “ああ俺のギターが! なんてことをしてくれるんだ!”なんてまくしたてていたよ。(笑) でもライブが終わった後、君が持っていて良いよって言ってくれた。
●最初はドラマーだったんですよね。
始めたのは10歳か11歳の時だ。ウチにはベビーシッターがいてね。たまにそのベビーシッターの家に泊まっていた。彼女には兄貴がいてさ、マウスって名前だっけかな、ギブソン・レス・ポールと、ドラムスティックを持っていたんだよ。彼はパンクに夢中でさ、ギターをアンプにつないではキ○ガイみたいになっていたよ。オレはオレで鍋やフライパンを叩いていた。オレ達はそのバンドをThe Razorblades From Hellと名付けた。それがドラムとの出会いだ。
その後、親父にドラムキットを買ってくれってせがんではみたんだが、どうしても首を縦に振らなくてさ。でもしつこくせがんだら、条件付きではあるがついに首を縦に振ってね。“1年間クラシックピアノのレッスンを受けたら、中古のドラムセットを買ってやろう”という条件だ。オレは条件通りピアノのレッスンを始めたよ。その一方で親父は、ドラムを買うという約束なんか忘れてピアノを続けて欲しいってひそかに願っていた。でもきっかり1年後ピアノの先生と親父に、ドラムをやるからピアノは止めるって言った。親父はガッカリしていたが、約束通りドラムを買ってくれたよ。「なんじゃこりゃ?」っていうような古いキットだったけど嬉しかった。ジミ・ヘンドリックス、Led Zeppelin、The Beatles、The Sex Pistols、その後はKissと、オレはそれらのバンドに取り憑かれていて一日中レコードに合わせてドラムを叩いていた。
それと、オレのじいさんは町外れでおかしなリサイクルショップを経営していてさ。というのも、そこにあるのはヤク中が売りにきたいろんな種類のレコードや楽器、あとスコアの寄せ集めだったんだ。土曜日になるとオレはよくその店に行ったもんだよ。何でも好きに持っていって良いなんて許可も貰っていたしさ。ゾクゾクするような発見があの店にはたくさんあったなぁ。オノ・ヨーコのLP「Fly」とか。最初にそれを聴いた時は、頭がおかしいヤツが作っているとしか思えなかったけど最後には全部の曲が大好きになった。ガキの頃ってかなりオープンだよな。その作品を聴き込み始めると、どの曲も分け隔てなく愛するようになるというかさ。他にはIron Maidenのジャケットで、中身がマイルス・デイビスの「Live-Evil」なんてのもあった! コイツらがオレの頭の中をグルグル回っていた初期のレコードだ。
あと、じいさんは安物のエフェクターや機材も山ほどくれたよ。ずっといじくり回していた。ダブルテープのレコーダーも持っていたんで、そいつを4トラックレコーダーみたいにして使っていた。もう昼夜問わず録音していた! 同じ音源を同時に流してみたり、別のプレーヤーにバウンスしたりしてフランジの仕組みを理解したりさ。あと短波ラジオも録音してみたしカットアップもやったなぁ。そういった方向に興味を持つようになったのは本当にあの店の存在が大きいね。オレが思うにそれからだね。ドラマーとしてフリージャズとか、むちゃくちゃな事をどんどんやるようになったのは。まぁその後、ドラムを止めてギターを弾くようになったけど。
●Phlegmを始めた時の事を教えて下さい。
80年代後半から90年代初頭にかけて、オレとロビー・アヴェナイムは多くのフリージャズのプロジェクトで一緒にドラムを叩いていたんだ。あの時やっていたバンドの1つに、Ornette Coleman&prime Timeのカヴァーバンドがあった。(ギター×2、ベース×2、ドラム×2)。しばらくは楽しんでいたんだけど、バンドの仲が悪くなっちまってね。メンバーのうち半分はストイックにジャズを追求したい。そしてもう半分は、ジャズと他のジャンル、パンクとかロックとかそんなヤツも取り入れたい。そうなっちまったんだ。結局解散だよ。あの時はフラストレーションが半端じゃなかった。
その頃、オレはギターを弾くようにもなっていてさ。ふと気付いたらロブとのデュオライブをブッキングしていたんだ。そいつがPhlegmだ。オレ自身、こいつはPhlegm(痰)なんてバカげた名前だし、一度きりのライブだって考えていたんだが、ロブはまたライブをやろうって言ってきてね。オレのギタープレイを見てショックを受けんだと。
その後のライブもうまくいったが、ハイライトはニク・カンビシスの存在だった。ヤツはその時のライブでオレ達と最後まで演奏してくれてね。その後、別のライブの誘いも受けた。それで名前を正式にPhlegm、ギターはオレ、そしてニクがバンドメンバーになった。それが始まった時のストーリーさ。
●ニクとの出会いについて教えて下さい。
ニクと出会ったのは1991年の事だよ。オレはいくつかのバンドを掛け持ちしていて、その時のライブで出会ったんだ。初めて出会ったときに、PSFレーベルや灰野敬二について語り合ってさ、ヤツはそんな事まで知っていたんで驚いた。1991年というとシドニーでは誰も灰野敬二になんて注目していなかった時代だぜ。すぐに仲良くなったよ。ヤツはジャンクサウンドにハマっていた郵便局員で、実際のところ音楽で食っているってわけじゃなかった。そのヤツとオレは、大阪から日本のアングラミュージックの作品をメール注文でほぼ毎週取り寄せるようになってね。もう完全に取り憑かれちまったんだ。
ある日、ニクが誰かの4トラックレコーダーをいじくり回してレコーディングしたカセットテープを置いて行った時があった。その内容ときたら完全に、完璧にぶっこわれたサウンドだった! どれよりも狂っていて、もう背筋に電流が流れた。ずいぶん長い間そいつを聴いていたよ。あの時からだ、ヤツの音楽に勢いがついてきたのは。唯一無二の才能をもったアーティストだよ。
●ジャパノイズとはどういう経緯があって関わるようになったのですか?
90年代の頭に、「Eat Shit Noise Music」っていうRRRレーベルのカセットを買ってみたんだ。ジャパノイズ黎明期のバンド、ハナタラシ、ゲロゲリゲゲゲ、White Hospital、それとGrimのレアなLPからの曲が収録されたコンピレーションだよ。もうすっかり虜になっちまった! ガサツであり、ノイジーであり、ダダイズムであり、バカバカしくもありで、完全に常軌を逸していたんだ。それで全部のバンドのオリジナルのLPを探すようになってさ。そしたら今度はマゾンナなんてのが出てきやがった。今ヤツがやっている事より凄まじく乱暴なサウンドだったよ。その頃に活動を開始したPhlegmはジャパノイズの影響を受けている。Phlegmは日本で2回ツアーをやったし、マゾンナ、Solmania、The Machine Gun TV、ボアダムズ、怖、ミンガ、その他と、ここ何年もWhat Is Music? Fesitivalに出演しているし。オレが日本に行った時、もしくは今言ったバンドがオーストラリアに来た時は、コラボレーションしてライブをやりまくったもんだよ。今でも愛しているよ。特にIncapacitantsみたいなヤツが大好きなんだ。
ボアダムズは、初めてオーストラリアにやってきた時Phlegmにサポートを依頼してきたよ。アイツらすでにオレ達を日本でのライブを見て知っていたから。Phlegmの日本ツアーで、ライブでコラボレーションもやったし。まぁそれはともかく、What Is Music? Festivalの一環として、ボアダムズとPhlegmとMu-Mesonsでゲリラライブをやったんだけど、そいつはもう狂気の一言だった! 会場は、オレ達がたまにちょっとした即興のライブをやる時に利用していた小さいカフェでね。もうぎゅうぎゅう詰めだ。そのライブでニクが甲高い声で叫び始めちゃってさ。ちょうどステージの脇に(山塚)アイがいたんだけど、アイツそれ見てすげー驚いてた。ニクがそんなことするなんて信じられなかったみたいだな。ハイライトは、ニクとアイが絡まり合って、ニクとアイの頭がそれぞれの足の間にある状態で、マイクを口の中に入れて延々と叫んでいた時だった。素晴らしいライブだった。
●大学で仕事をしているんですよね。
ああ。2つのクラスを受け持っている。現代美術とフリー・インプロヴィゼーションだよ。
●どういった経緯で講義を受け持つようになったのですか?
Phill Niblock's ensembleのメンバーの1人としてウェスタンシドニー大学で演奏した後、ジュリアン・ノウルズ (Social Interiors)に、”俺の代わりに、音楽科の2年生相手にフリー・インプロヴィゼーションについて講義をしてくれないか“と頼まれたんだ。今年でこの講義は2年目になるよ。
生徒のバックグラウンドはだいたいがロックかクラシックだ。いわゆる“シュレッド・ギター”(速弾き系)が山ほどある。基本的にはオレは生徒に、プレイにせよ聴き方にせよ違ったアプローチの方法を紹介している。たくさんの作品を聴いて、たくさんプレイをしてね。自分の習慣を壊して耳を傾ける。それがテーマだよ。
●私はアラン・リクトの提言、“全ての即興演奏者はジョン・カサヴェテスの映画「オープニング・ナイト.」を観なさい”が心に残っていますよ。
良い言葉だね! 講義で流してみようか。オレももう一回観たいし。
●講義ではどんな作品を題材として取り上げますか?
いくつかある。(ジョン)ケージのプリペアド・ピアノの曲や「Indeterminacy」とか。音楽的な引き出しを増やす。それをテーマにした講義の時は、いつもケージの曲を題材として取り上げる。他には(アルビン)ルシエルの作品も題材に含まれているし、AMMの「Laminal」からも抜粋している。これを選ぶ主な理由は、長い年月を経て彼らはどう変化してきたのか? それを知るのに良い題材だからだ。ああ、あと「Laminal」の二枚目のロンドンコンサートのヤツも取り上げる。クラスにはヴォーカリストもいるので、デメトリオ・ストラトスのCrampsレーベルの様々な作品も取り上げるし、オレ自身も他のいろいろな種類のヴォーカル作品を弾く。コル・フラーの、タイトルは忘れちまったけど凄く良く出来たピアノの作品も取り上げるよ。あとジム・デンリーの「Tiboboora」。フルート奏者がクラスには必ずいるんでね。あとVoice Crackもだ。自分で楽器を作ってみる事を勧める為に、それと、たとえ既存の楽器を使わずとも音楽は美しくなり得る、という刺激を与えるためにだ。Voice Crackの映画「Kick That Habit」も流したよ。こいつはかなり生徒達を刺激した。“全てのサウンドを音楽として聴く”という姿勢につながったんだ。あとフランシスコ・ロペスのトークと演奏も多くの生徒に良い方向への変化をもたらした。
あとはフレッド・フリス、ハンス・レイチェル、ヘンリー・カイザーのようなギタリストの曲も題材として取り上げたよ。大抵のアーティストにとって、彼らが入り口になるんだよな。すぐにピンとくるものがあるというかさ。そこからキース・ロウのような世界に向かうんだ。ギュンター・ミューラーとジム・オルークのコラボレーションアルバムも良いね。何度も取り上げた。クリスチャン・マークレイの全ての作品もだ。カットアップについての説明と、50年代、60年代のミュージック・コンクレートの解説をする時は欠かせない。ここからメルツバウ、それと初期のハナタラシやノイズミュージックへと話は進んでいき、さらにはMegoレーベルのアーティストやStilluppsteypaといった現代のデジタルサウンドまでも紹介する。
●生徒達がいつも好んで聴くのは何でしょうか?
フレッド・フリスみたいな派手なヤツを聴いてるな。オレはそれをVoice Crackみたいにして弾いている。彼らは「???」って感じになるよ。良い事だろ。なぁ?
●NY流の“(即興演奏の習得のためには)とにかく演奏を続けなさい”という事とも違うというか……。
当たり前だ。全然違う。オレが生徒にやらせている事は、決まり切った日常、つまり習慣を壊して音楽を聴くって事だぜ。あと引き出しを増やしたり広げたり。それとリスクを負う事だ。
●生徒達にはこれらの楽曲からこの部分に気付いて欲しい、という狙いが何かありますか?
生徒達は楽曲に対して良い反応を示しているように思えるよ。以前に比べたら自分の演奏に少しは用心深くなっているし、サウンドの中の細かい点にも気付いているからな。願わくばもっと自分の演奏に対して選択の幅を広げて欲しい。ま、どうなることやら。
出来る限りその場でグループを作って演奏させるようにしている。その後クラス全体でその時のグループでの演奏を振り返り、何が好きで何が嫌いかについて話し合う。それと演奏者についても話し合う。何を考えていたのか? 何がまずかったのか? サウンドをどう鳴らすか? なんかについてだ。曲を演奏している間、自分のプレイに対して、そして反応の仕方に対してより繊細になって欲しいという狙いがある。勿論、周りの事なんかどうだっていいね。なんて態度でいる生徒も大勢いるが。
あと前にも言ったが、マーティン・ングみたいなゲストを呼んでソロ演奏をやってもらったり、生徒と即興演奏をやってもらったりする事も実に効果的だ。生徒の緊張感が違うんだよ。彼らにとって、プロと演奏する時にいい加減なプレイをしちまうって事は決して気分の良い事ではないんだよな。
●クラスでの演奏と、キース・ロウ、クリスチャン・フェネス、ピモン、それとピーター・レーバーグとのコラボレーションで出来た「Afternoon Tea」での演奏を比べてみてどうでしょうか?
殆どの生徒は、完全な構造を持たない曲の中で即興を演奏するという経験がない。もうガチガチに緊張している生徒もいる。その緊張を緩めて、自然体で取り組めるようにしてやるには時間がかかるよ。
「Afternoon Tea」は超リラックスしたセッションだった。レコーディングを行った部屋には太陽の光が差し込み、全員が穏やかで、ただ集まってプレイをする事に幸せを感じていた。前もって話し合ってもいないしね。テープを回して何時間かただプレイをしただけさ。
●この2つのグループが組み合わさるなんて本当に良く出来ているというか。
これはWhat Is Music? Festivalの結果による部分が大きいね。Megoレーベルの一部のアーティストが2000年に参加してくれたんだ。皆でつるんで食事をして酒を飲んで……実に充実した時を過ごしたよ。それで交流が生まれて、コラボレーションをしたり、音源のやりとりをしたり、素晴らしいライブをしたりと、そういった結果につながった。以来、即席で出来たコラボレーションの音楽がリリースされたり、そのまま正式なプロジェクトになったりしたんだ。例えばGcttcattなんかはその典型だよな。
オーストラリアって旅行で来るにはうってつけで、リラックス出来る場所だよ。皆、心が温かいしね。彼らオーストリア人はそこが気に入ったんだな。クリスチャン・フェネスはオレにこう言っていたよ。“ここで過ごしたひとときが「Endless Summer」制作の刺激になった”ってね。
●What Is Music? Festivalとはどういう理由で始めたのですか?
あれは1994年の事だった。シドニーでとあるクラブを経営している男がいてね。そいつが2晩の実験音楽のライブを企画してくれないかってオレ達(オーレンとロニー・アヴェナイム)に頼んできた。でも、出演して欲しいアーティストはたくさんいたんで結局は5日間の“フェスティバル”となった。
元々は、 “インテリ”による生楽器での即興演奏とか、最低で何をやっているのかよくわからない“生真面目”なグループとか、そういう地元のアーティストでやろうって事だったんだ。出演したバンドに共通したのは、シドニーでは殆どライブをやる機会がないというのと、興味深い事をやっているという点だった。それがようやっとシドニーとメルボルンで毎年行われる規模のフェスティバルになった。ここ4年は海外のアーティストにもゲスト参加してもらっているよ。
●「Stacte」シリーズが始まったときの事を教えて下さい。フラストレーションがきっかけとなったのですか? それとも、何かあなたを駆り立てる刺激があったのですか?
自宅で、ギターとエフェクターと質の悪いカセットプレーヤーをいじってだらだら過ごしていた時の事だ。聴いていたのはアラン・リクトの「Sink the Aging Process」のLPや、もっと古いミニマルのLP、アルビン・ルシエルとか、ラ・モンテ・ヤングなんかだな……。その時までソロの音源をレコーディングした事なんて無かったんだが、ふと食指が動いてね。ギターをアンプに挿して、録音ボタンを押してさ、そしたらファーストテイクがすぐに出来上がっちまった。アイデアも準備も何もない、1発撮りってヤツだ。その後、テープをひっくり返してまた録音を始めた。自分のプレイに触発されながらね。録音が終わったら、そいつを聴いて、その足で郵便局に行って、アメリカのプレス工場に手付金と一緒に送りつけちまったんだ。次の日の朝は後悔の始まりだよ。“何をやっているんだオレは”とか、“どうかしてる……あんなカスみたいな音楽を”とかいろいろね……。カセットのダビングすらしてなかったんだ。良いのか悪いのか確認することも出来なかった。「Stacte」シリーズのVol.1とVol.2のマスターはそのプレス工場にあったという状態なのだが、実を言うとその工場はその後つぶれてちまってさ。だからマスターが将来出てくるかどうかはわからない。あれをリリースした理由ははっきりとはわからないが、この出来事を通して自分の演奏を研究して見直すという事につながった。そこは嬉しく思うね。オレはあの時までソロ音源をリリースした事は無かったんだけど、この出来事のおかげでもっとやってみようって弾みがついた。それと、これは限定盤という代物だったので、完璧じゃない事を心配してはいなかったし、失敗ってヤツにもこだわっていなかった。
次の「Stacte」シリーズもそういった伝統を受け継いで作られたよ。考え過ぎる事なく、前もって準備することなく続けられる長旅をただただ録音する。そういう伝統だ。
●去年、ヨーロッパとNYに行きましたが、ソロとして行くのは初めてですか?
ああ、海外は初めてだよ。オーストラリアではソロライブをやった事があるけど。
●プレイに対するアプローチはソロライブをこなすにつれてどのように変化しましたか?
本当に成長した。イギリスで行った最初の何回かのライブはだいたい20分くらいのセットだった。けど、ツアーの最後には50分くらいになったよ。ともかく、全部の曲が長い曲に変化したんだ。長い曲をプレイすればするほどリスクを背負い込むはめになったが、そのおかげで以前より新しい領域に辿り着けた。機材が全くダメな時もあったがそれはそれで違った場所へオレを連れて行ってくれた。虫食い穴(無音状態)を作り出す事が、ソロライブの空間を磨き上げるのに凄い助けになった。結果として、オレの演奏の中で無音状態は新たな居場所になったよ。そういうプレイが出来るようになったというのは自分にとっては素晴らしい経験だった。オランダのナイメーヘンでやったライブを、Ideaレーベルから「Triste」というアルバムとしてリリースする予定だ。
それと、幸運な事にヨーロッパとアメリカでライブをやる時は何度かコラボレーションも出来た。キース・ロウとロビー・アヴェナイムとのトリオでフランスで5回ライブをやったよ。キースは上品で、過激で、味のあるプレーヤーだ。おまけに完璧な紳士だし。Sachiko Mと大友良英がオレ達のライブに参加した夜もあったけど、それも最高だった。
オランダでは、Stilluppstepyaのヘイミルや、87 Centralのジェフ・ケアリー、あと偉大なるハンドメイドエレクトロニクスアーティスト、ゲルト=ヤン・プリンスとレコーディングをしたよ。これもいつかリリースされるかもしれない。
NYでのソロライブのハイライトは、パーカッショニストのティム・バーンズとの共演だった。ハナっから意気投合したライブだった。
●Touchレーベルとはどういった経緯があって関わるようになったのですか?
ギターの音源を収録したCD-Rを送ったんだよ。その数週間後、リリースをしたいって連絡があった。そして数ヶ月の時を経て「Insulation」としてリリースされた。オーストラリアのアーティストにとって、自分の作品をこういうレーベルからリリースしてもらえるって事は、幸運な事なんだよ。自分の作品を自分でリリースしていたなんて事も遠い昔の話でもないんでね。結局は地元の何カ所かだけで売ってフェードアウトだが。でも、この出来事がオーストラリアに在住する大勢のアーティストが、海外のレーベルに自分の作品を送る刺激になった。それ以降、海外でもちらほらリリースされるようになった。
●「Stacte」シリーズと「Insulation」の違いは何でしょうか?
「Stacte」シリーズにあるのは、生々しくて、自発的で、ミニマルなアプローチだった。磨き上げて完成させようなんて事も考えてなかったよ。オレが望んでいたのは、単純に“その瞬間”を捉えるって事と、そこから長い時間をかけて探求する事だった。
「Insulation」はもっとバラエティに富んでいる。様々なムードやテクスチャーが描かれているからな。ギターでどこまでやれるか? その答えを求めて出来たアルバムだ。Touchからリリースされた最新アルバム、「Suspension」のほうがいろいろな意味で「Stacte」シリーズに近いな。曲が“その瞬間”やムードを捉えているんだ。
「Stacte3」の特にB面、あれでオレは何か気付きを得たんだよ。それが後の、「Persona」や「Suspension」につながっている。
●マーティン・ングとのコラボレーションについて教えて下さい。
初めてのコラボレーションアルバムは去年リリースされた「Reconnaissance」で、ターンテーブルとギターしか使ってなくてね。殆どがフィードバックから生み出されたサウンドだ。ターンテーブルに体重をかけるとフィードバックのピッチがかすかにだが変わる、という事に気付いたんだ。ギターとターンテーブルの、コントロールされたフィードバックが渾然一体となり、完全に別のサウンドを生み出している。
●マーティン本人についてですが……。
ああ、ビックリするような男だよ。何せ昼間は心臓内科医で夜はターンテーブリストだからな。ヤツは「Machine for Making Sense」の管楽器奏者、ジム・デンリーとコラボレーションして、素晴らしい即興作品(Vergency)も作った。あと、マティアス・グマッハルのFarmers Manualってプロジェクトにも関わっているよ。タイトルが「Gcttcatt」ってアルバム。「Gcttcatt」って奇妙な名前は珍しい塩基配列が由来になっていてね。アイツの心臓の研究に関係する話だ。
●オーストラリア全般について教えて下さい。地理的に、それに移民法の点から見て孤立してしまっている事が人々や人々の考えにどう影響を与えていますか? その事に対してあなた方はどのように対処しているのでしょうか?
影響の度合いは人によって違うし、それは各個人が考えるべき問題だ。オレは好奇心が強い人間なので、何かを聞きつけてそれが本当に求めるものであれば何とかして手に入れるようにしてきたよ。大事なのは、オープンになって可能な限りたくさんの音楽に触れる事だ。常に様々な音楽を見つけ出して、吸収するよう心掛けている。
たくさんの面白い作品がオーストラリアでも生まれているが、もう本当に人目につかないという状況だな。例えば、君がそれらを見つけるために必死に努力したとしても、得られるのはライブを観る機会だけだろう。作品が視界に飛び込んでくるなんてことはない。しかし、マイナーな輸入盤を手に入れる事に関してはここ数年でいくらかマシになった。それにありがたい事に、海外のアーティストが来てくれている。
ライブに関しても、フラストレーションは溜まっている。1年にやるライブの回数は10回かそこらかも、なんてかなり落ち込んじまうよな。その代わり時間はあるんで集中して自分を磨いてこれたが。ライブが毎日あるような状況じゃないからライブがあると殆どの場合が“特別”なものになっちまう。What Is Music? Festivalに出演した海外のアーティストですら言ってたよ。“こんな大勢の前でライブをやった事なんて無かった”って。アーティストに対する関心も“サポート”もそれほどないんだ。“スポーツ”は一番なんだが。殆どのライブはミュージシャン自身の企画によるものさ。場所のライブハウスのブッキングからフライヤー制作、告知、その他諸々に至るまでね。とはいえ地元を離れるのは高くついちまうしフライト時間もクソ長い。そういうわけで地元にとどまっているアーティストは大勢いるな。皆、マジで外の世界の音楽シーンでは何が起こっているのかわかっていない。しかし、それでも美しくて個性的な作品は生み出されている。これは孤立しているからこそ生まれた結果だと思うのだがどうだろうか? いや、そうかな……。それが重要かどうかはわからないな。オーストラリアでも他の場所と同様に、とんでもなくひどい作品が山ほど作られているんでね。
ま、それでもここでの生活は楽しいよ。景色は美しく、天候も穏やかだし。あと、メシも最高だ! でも海外に出る事が出来ずに、他の文化とのコラボレーションや他の国でのライブが出来ない状態だったら気が狂っていただろうなぁ。ああゾッとする!
Oren Ambarchi Official site
http://www.orenambarchi.com/
Oren Ambarchi Facebook
http://ja-jp.facebook.com/pages/Oren-Ambarchi/108363895854473?sk=info
Black Truffle Records
http://www.blacktrufflerecords.com/
Perfect Sound Forever
http://www.furious.com/perfect/
※著作権について:記事を掲載しているサイトPerfect Sound Foreverから、翻訳記事の掲載と、画像の使用の許可を頂いて紹介しております。
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●Living Colourの再結成ライブを観る前にNYから出て行ってしまったとは気の毒ですね。セントラルパークのSummer Stageでライブをやったんですよ。過去に戻った感覚でした。あのバンドは私の高校時代のお気に入りでしたから。あー、オレも喜んで行っていただろうなぁ。オレだってあのバンドが大好きだったんだぜ。全て揃えていたよ。「Stain」の別バージョンも持っていたし。オーストラリア盤ではヴァーノン・リードのソロがもっとイカれているんだ。
●アメリカでは売られていなかったバージョンですよね。(あのライブの時)ロックって名前のマッチョな男性の隣にいたんですが、Living Colourと遊んだ時の話をちょっとだけ聞かせてくれましたよ。あと、彼のバンドのフライヤーも貰いました。そのフライヤーには、“この星にはレジー・シルヴェスターをフィーチャーしたCOCKDIESELのようなバンドは他に存在しない”なんて書かれていましたね。
クソッ、マジかよ。オレ、前にレジ―の話しをした事ってあったっけ?
●いえ、ないですね。
イェシーバー大学の学生としてブルックリンに住んでいた時、夜になるとよくライブを観に行っていた。でさ、オレが観に行くライブには必ずレジーがいたんだよな。初めて出会ったのはPowertoolsのライブだった。その後ヤツとは親友になったよ。一緒にCBGBにたむろして、The Black Rock Coalitionのライブを全部観たりした。90年、91年頃の話さ。クールな事はヤツからたくさん教わったんだ。クラウンハイツのユダヤ教徒と、ベッドフォード・スタイベサントの黒人がつるんでいるなんて、さぞかし奇妙な2人組に見えたはずだ。まぁ結局は疎遠になっちまったが……。
●NYにいたとき、何について学んでいたのかを教えて下さい。
えっと、10代の頃はユダヤ教の研究に明け暮れていた。音楽でハマっていたのはジョン、アリス・コルトレーンだ。その後は順に(アルバート)アイラー、(セシル)テイラー、(アーチー)シェップ、他にもいろいろ……と聴くようになった。ユダヤ教の研究に没頭し、夜はジャズ系のアーティストのライブをチェックする。それはオレにとって、しばらくの間は最高の組み合わせだったよ。セシル・テイラーのライブはおよそ6、7回は観たと思う。だがそこから徐々にではあるがロックへと戻っていった。それと、たくさんのパンクのライブ、あとThe Black Rock Coalitionのライブ。フリージャズの世界とも少しクロスオーヴァーしていたな。
●以前、生活を共にしていた時、あなたが朝にとっていた行動について教えて欲しいのですが。気にはしていませんでしたが、あれは何だったのでしょうか?
ユダヤ教の儀式だよ。Tefillinを身につけていたんだ。革製の紐と2つの箱で出来たヤツでね。箱の中には4つの聖句が書かれた羊皮紙が入っている。その箱は、1つは左腕の心臓と同じ高さのところに身につける。もう一つは頭にだ。自分の知性と心を神へ委ねる、という事を現しているんだよ。
●スピリチュアルな儀式といえば、あのズタズタに切り刻まれているギターについてですが……。
話せば長くなる。10代の頃に遡るんだが、あの頃仲間内の何人かはジャムがやれる部屋を持っていてね。でさ、機材は必ず部屋に置いていくもんだから、オレ達の機材は全て部屋にある状態だった。いわゆる学校の“メタルゴッドギタリスト”のギターもそこにあったよ。ある日その“メタルゴッドギタリスト”は高慢ちきなジャズ野郎になっちまってさ、ジョージ・ベンソンだのそんなのを弾き始めてさ。まぁともかく、ヤツの痛いワッシュバーンのギターは部屋に何年間も取り残された状態だった。
その後フリージャズ系のライブをやっていたある日、何か電子音が欲しいって思って、その時に部屋を見たらワッシュバーンのギターがあった。それ以来使っている。のこぎりで半分にしたり、他のピックアップを乗せてみたり、後はここでは言えないような事とかね。なんせタダだしな。(笑) 自分の衝動を押さえる事が出来なかったんだ。
そういやあオレがライブをやり始めた頃、持ち主が観に来た事があったな。ヤツはその時ワッシュバーンのギターを観るのを楽しみにしていたよ。実際のところ、“もういっぺんあいつが欲しい”なんて言っていやがってね。それがオレがギターケースを開いた時のヤツの顔ときたら!!!! 叫び声を上げて、 “ああ俺のギターが! なんてことをしてくれるんだ!”なんてまくしたてていたよ。(笑) でもライブが終わった後、君が持っていて良いよって言ってくれた。
●最初はドラマーだったんですよね。
始めたのは10歳か11歳の時だ。ウチにはベビーシッターがいてね。たまにそのベビーシッターの家に泊まっていた。彼女には兄貴がいてさ、マウスって名前だっけかな、ギブソン・レス・ポールと、ドラムスティックを持っていたんだよ。彼はパンクに夢中でさ、ギターをアンプにつないではキ○ガイみたいになっていたよ。オレはオレで鍋やフライパンを叩いていた。オレ達はそのバンドをThe Razorblades From Hellと名付けた。それがドラムとの出会いだ。
その後、親父にドラムキットを買ってくれってせがんではみたんだが、どうしても首を縦に振らなくてさ。でもしつこくせがんだら、条件付きではあるがついに首を縦に振ってね。“1年間クラシックピアノのレッスンを受けたら、中古のドラムセットを買ってやろう”という条件だ。オレは条件通りピアノのレッスンを始めたよ。その一方で親父は、ドラムを買うという約束なんか忘れてピアノを続けて欲しいってひそかに願っていた。でもきっかり1年後ピアノの先生と親父に、ドラムをやるからピアノは止めるって言った。親父はガッカリしていたが、約束通りドラムを買ってくれたよ。「なんじゃこりゃ?」っていうような古いキットだったけど嬉しかった。ジミ・ヘンドリックス、Led Zeppelin、The Beatles、The Sex Pistols、その後はKissと、オレはそれらのバンドに取り憑かれていて一日中レコードに合わせてドラムを叩いていた。
それと、オレのじいさんは町外れでおかしなリサイクルショップを経営していてさ。というのも、そこにあるのはヤク中が売りにきたいろんな種類のレコードや楽器、あとスコアの寄せ集めだったんだ。土曜日になるとオレはよくその店に行ったもんだよ。何でも好きに持っていって良いなんて許可も貰っていたしさ。ゾクゾクするような発見があの店にはたくさんあったなぁ。オノ・ヨーコのLP「Fly」とか。最初にそれを聴いた時は、頭がおかしいヤツが作っているとしか思えなかったけど最後には全部の曲が大好きになった。ガキの頃ってかなりオープンだよな。その作品を聴き込み始めると、どの曲も分け隔てなく愛するようになるというかさ。他にはIron Maidenのジャケットで、中身がマイルス・デイビスの「Live-Evil」なんてのもあった! コイツらがオレの頭の中をグルグル回っていた初期のレコードだ。
あと、じいさんは安物のエフェクターや機材も山ほどくれたよ。ずっといじくり回していた。ダブルテープのレコーダーも持っていたんで、そいつを4トラックレコーダーみたいにして使っていた。もう昼夜問わず録音していた! 同じ音源を同時に流してみたり、別のプレーヤーにバウンスしたりしてフランジの仕組みを理解したりさ。あと短波ラジオも録音してみたしカットアップもやったなぁ。そういった方向に興味を持つようになったのは本当にあの店の存在が大きいね。オレが思うにそれからだね。ドラマーとしてフリージャズとか、むちゃくちゃな事をどんどんやるようになったのは。まぁその後、ドラムを止めてギターを弾くようになったけど。
●Phlegmを始めた時の事を教えて下さい。
80年代後半から90年代初頭にかけて、オレとロビー・アヴェナイムは多くのフリージャズのプロジェクトで一緒にドラムを叩いていたんだ。あの時やっていたバンドの1つに、Ornette Coleman&prime Timeのカヴァーバンドがあった。(ギター×2、ベース×2、ドラム×2)。しばらくは楽しんでいたんだけど、バンドの仲が悪くなっちまってね。メンバーのうち半分はストイックにジャズを追求したい。そしてもう半分は、ジャズと他のジャンル、パンクとかロックとかそんなヤツも取り入れたい。そうなっちまったんだ。結局解散だよ。あの時はフラストレーションが半端じゃなかった。
その頃、オレはギターを弾くようにもなっていてさ。ふと気付いたらロブとのデュオライブをブッキングしていたんだ。そいつがPhlegmだ。オレ自身、こいつはPhlegm(痰)なんてバカげた名前だし、一度きりのライブだって考えていたんだが、ロブはまたライブをやろうって言ってきてね。オレのギタープレイを見てショックを受けんだと。
その後のライブもうまくいったが、ハイライトはニク・カンビシスの存在だった。ヤツはその時のライブでオレ達と最後まで演奏してくれてね。その後、別のライブの誘いも受けた。それで名前を正式にPhlegm、ギターはオレ、そしてニクがバンドメンバーになった。それが始まった時のストーリーさ。
●ニクとの出会いについて教えて下さい。
ニクと出会ったのは1991年の事だよ。オレはいくつかのバンドを掛け持ちしていて、その時のライブで出会ったんだ。初めて出会ったときに、PSFレーベルや灰野敬二について語り合ってさ、ヤツはそんな事まで知っていたんで驚いた。1991年というとシドニーでは誰も灰野敬二になんて注目していなかった時代だぜ。すぐに仲良くなったよ。ヤツはジャンクサウンドにハマっていた郵便局員で、実際のところ音楽で食っているってわけじゃなかった。そのヤツとオレは、大阪から日本のアングラミュージックの作品をメール注文でほぼ毎週取り寄せるようになってね。もう完全に取り憑かれちまったんだ。
ある日、ニクが誰かの4トラックレコーダーをいじくり回してレコーディングしたカセットテープを置いて行った時があった。その内容ときたら完全に、完璧にぶっこわれたサウンドだった! どれよりも狂っていて、もう背筋に電流が流れた。ずいぶん長い間そいつを聴いていたよ。あの時からだ、ヤツの音楽に勢いがついてきたのは。唯一無二の才能をもったアーティストだよ。
●ジャパノイズとはどういう経緯があって関わるようになったのですか?
90年代の頭に、「Eat Shit Noise Music」っていうRRRレーベルのカセットを買ってみたんだ。ジャパノイズ黎明期のバンド、ハナタラシ、ゲロゲリゲゲゲ、White Hospital、それとGrimのレアなLPからの曲が収録されたコンピレーションだよ。もうすっかり虜になっちまった! ガサツであり、ノイジーであり、ダダイズムであり、バカバカしくもありで、完全に常軌を逸していたんだ。それで全部のバンドのオリジナルのLPを探すようになってさ。そしたら今度はマゾンナなんてのが出てきやがった。今ヤツがやっている事より凄まじく乱暴なサウンドだったよ。その頃に活動を開始したPhlegmはジャパノイズの影響を受けている。Phlegmは日本で2回ツアーをやったし、マゾンナ、Solmania、The Machine Gun TV、ボアダムズ、怖、ミンガ、その他と、ここ何年もWhat Is Music? Fesitivalに出演しているし。オレが日本に行った時、もしくは今言ったバンドがオーストラリアに来た時は、コラボレーションしてライブをやりまくったもんだよ。今でも愛しているよ。特にIncapacitantsみたいなヤツが大好きなんだ。
ボアダムズは、初めてオーストラリアにやってきた時Phlegmにサポートを依頼してきたよ。アイツらすでにオレ達を日本でのライブを見て知っていたから。Phlegmの日本ツアーで、ライブでコラボレーションもやったし。まぁそれはともかく、What Is Music? Festivalの一環として、ボアダムズとPhlegmとMu-Mesonsでゲリラライブをやったんだけど、そいつはもう狂気の一言だった! 会場は、オレ達がたまにちょっとした即興のライブをやる時に利用していた小さいカフェでね。もうぎゅうぎゅう詰めだ。そのライブでニクが甲高い声で叫び始めちゃってさ。ちょうどステージの脇に(山塚)アイがいたんだけど、アイツそれ見てすげー驚いてた。ニクがそんなことするなんて信じられなかったみたいだな。ハイライトは、ニクとアイが絡まり合って、ニクとアイの頭がそれぞれの足の間にある状態で、マイクを口の中に入れて延々と叫んでいた時だった。素晴らしいライブだった。
●大学で仕事をしているんですよね。
ああ。2つのクラスを受け持っている。現代美術とフリー・インプロヴィゼーションだよ。
●どういった経緯で講義を受け持つようになったのですか?
Phill Niblock's ensembleのメンバーの1人としてウェスタンシドニー大学で演奏した後、ジュリアン・ノウルズ (Social Interiors)に、”俺の代わりに、音楽科の2年生相手にフリー・インプロヴィゼーションについて講義をしてくれないか“と頼まれたんだ。今年でこの講義は2年目になるよ。
生徒のバックグラウンドはだいたいがロックかクラシックだ。いわゆる“シュレッド・ギター”(速弾き系)が山ほどある。基本的にはオレは生徒に、プレイにせよ聴き方にせよ違ったアプローチの方法を紹介している。たくさんの作品を聴いて、たくさんプレイをしてね。自分の習慣を壊して耳を傾ける。それがテーマだよ。
●私はアラン・リクトの提言、“全ての即興演奏者はジョン・カサヴェテスの映画「オープニング・ナイト.」を観なさい”が心に残っていますよ。
良い言葉だね! 講義で流してみようか。オレももう一回観たいし。
●講義ではどんな作品を題材として取り上げますか?
いくつかある。(ジョン)ケージのプリペアド・ピアノの曲や「Indeterminacy」とか。音楽的な引き出しを増やす。それをテーマにした講義の時は、いつもケージの曲を題材として取り上げる。他には(アルビン)ルシエルの作品も題材に含まれているし、AMMの「Laminal」からも抜粋している。これを選ぶ主な理由は、長い年月を経て彼らはどう変化してきたのか? それを知るのに良い題材だからだ。ああ、あと「Laminal」の二枚目のロンドンコンサートのヤツも取り上げる。クラスにはヴォーカリストもいるので、デメトリオ・ストラトスのCrampsレーベルの様々な作品も取り上げるし、オレ自身も他のいろいろな種類のヴォーカル作品を弾く。コル・フラーの、タイトルは忘れちまったけど凄く良く出来たピアノの作品も取り上げるよ。あとジム・デンリーの「Tiboboora」。フルート奏者がクラスには必ずいるんでね。あとVoice Crackもだ。自分で楽器を作ってみる事を勧める為に、それと、たとえ既存の楽器を使わずとも音楽は美しくなり得る、という刺激を与えるためにだ。Voice Crackの映画「Kick That Habit」も流したよ。こいつはかなり生徒達を刺激した。“全てのサウンドを音楽として聴く”という姿勢につながったんだ。あとフランシスコ・ロペスのトークと演奏も多くの生徒に良い方向への変化をもたらした。
あとはフレッド・フリス、ハンス・レイチェル、ヘンリー・カイザーのようなギタリストの曲も題材として取り上げたよ。大抵のアーティストにとって、彼らが入り口になるんだよな。すぐにピンとくるものがあるというかさ。そこからキース・ロウのような世界に向かうんだ。ギュンター・ミューラーとジム・オルークのコラボレーションアルバムも良いね。何度も取り上げた。クリスチャン・マークレイの全ての作品もだ。カットアップについての説明と、50年代、60年代のミュージック・コンクレートの解説をする時は欠かせない。ここからメルツバウ、それと初期のハナタラシやノイズミュージックへと話は進んでいき、さらにはMegoレーベルのアーティストやStilluppsteypaといった現代のデジタルサウンドまでも紹介する。
●生徒達がいつも好んで聴くのは何でしょうか?
フレッド・フリスみたいな派手なヤツを聴いてるな。オレはそれをVoice Crackみたいにして弾いている。彼らは「???」って感じになるよ。良い事だろ。なぁ?
●NY流の“(即興演奏の習得のためには)とにかく演奏を続けなさい”という事とも違うというか……。
当たり前だ。全然違う。オレが生徒にやらせている事は、決まり切った日常、つまり習慣を壊して音楽を聴くって事だぜ。あと引き出しを増やしたり広げたり。それとリスクを負う事だ。
●生徒達にはこれらの楽曲からこの部分に気付いて欲しい、という狙いが何かありますか?
生徒達は楽曲に対して良い反応を示しているように思えるよ。以前に比べたら自分の演奏に少しは用心深くなっているし、サウンドの中の細かい点にも気付いているからな。願わくばもっと自分の演奏に対して選択の幅を広げて欲しい。ま、どうなることやら。
出来る限りその場でグループを作って演奏させるようにしている。その後クラス全体でその時のグループでの演奏を振り返り、何が好きで何が嫌いかについて話し合う。それと演奏者についても話し合う。何を考えていたのか? 何がまずかったのか? サウンドをどう鳴らすか? なんかについてだ。曲を演奏している間、自分のプレイに対して、そして反応の仕方に対してより繊細になって欲しいという狙いがある。勿論、周りの事なんかどうだっていいね。なんて態度でいる生徒も大勢いるが。
あと前にも言ったが、マーティン・ングみたいなゲストを呼んでソロ演奏をやってもらったり、生徒と即興演奏をやってもらったりする事も実に効果的だ。生徒の緊張感が違うんだよ。彼らにとって、プロと演奏する時にいい加減なプレイをしちまうって事は決して気分の良い事ではないんだよな。
●クラスでの演奏と、キース・ロウ、クリスチャン・フェネス、ピモン、それとピーター・レーバーグとのコラボレーションで出来た「Afternoon Tea」での演奏を比べてみてどうでしょうか?
殆どの生徒は、完全な構造を持たない曲の中で即興を演奏するという経験がない。もうガチガチに緊張している生徒もいる。その緊張を緩めて、自然体で取り組めるようにしてやるには時間がかかるよ。
「Afternoon Tea」は超リラックスしたセッションだった。レコーディングを行った部屋には太陽の光が差し込み、全員が穏やかで、ただ集まってプレイをする事に幸せを感じていた。前もって話し合ってもいないしね。テープを回して何時間かただプレイをしただけさ。
●この2つのグループが組み合わさるなんて本当に良く出来ているというか。
これはWhat Is Music? Festivalの結果による部分が大きいね。Megoレーベルの一部のアーティストが2000年に参加してくれたんだ。皆でつるんで食事をして酒を飲んで……実に充実した時を過ごしたよ。それで交流が生まれて、コラボレーションをしたり、音源のやりとりをしたり、素晴らしいライブをしたりと、そういった結果につながった。以来、即席で出来たコラボレーションの音楽がリリースされたり、そのまま正式なプロジェクトになったりしたんだ。例えばGcttcattなんかはその典型だよな。
オーストラリアって旅行で来るにはうってつけで、リラックス出来る場所だよ。皆、心が温かいしね。彼らオーストリア人はそこが気に入ったんだな。クリスチャン・フェネスはオレにこう言っていたよ。“ここで過ごしたひとときが「Endless Summer」制作の刺激になった”ってね。
●What Is Music? Festivalとはどういう理由で始めたのですか?
あれは1994年の事だった。シドニーでとあるクラブを経営している男がいてね。そいつが2晩の実験音楽のライブを企画してくれないかってオレ達(オーレンとロニー・アヴェナイム)に頼んできた。でも、出演して欲しいアーティストはたくさんいたんで結局は5日間の“フェスティバル”となった。
元々は、 “インテリ”による生楽器での即興演奏とか、最低で何をやっているのかよくわからない“生真面目”なグループとか、そういう地元のアーティストでやろうって事だったんだ。出演したバンドに共通したのは、シドニーでは殆どライブをやる機会がないというのと、興味深い事をやっているという点だった。それがようやっとシドニーとメルボルンで毎年行われる規模のフェスティバルになった。ここ4年は海外のアーティストにもゲスト参加してもらっているよ。
●「Stacte」シリーズが始まったときの事を教えて下さい。フラストレーションがきっかけとなったのですか? それとも、何かあなたを駆り立てる刺激があったのですか?
自宅で、ギターとエフェクターと質の悪いカセットプレーヤーをいじってだらだら過ごしていた時の事だ。聴いていたのはアラン・リクトの「Sink the Aging Process」のLPや、もっと古いミニマルのLP、アルビン・ルシエルとか、ラ・モンテ・ヤングなんかだな……。その時までソロの音源をレコーディングした事なんて無かったんだが、ふと食指が動いてね。ギターをアンプに挿して、録音ボタンを押してさ、そしたらファーストテイクがすぐに出来上がっちまった。アイデアも準備も何もない、1発撮りってヤツだ。その後、テープをひっくり返してまた録音を始めた。自分のプレイに触発されながらね。録音が終わったら、そいつを聴いて、その足で郵便局に行って、アメリカのプレス工場に手付金と一緒に送りつけちまったんだ。次の日の朝は後悔の始まりだよ。“何をやっているんだオレは”とか、“どうかしてる……あんなカスみたいな音楽を”とかいろいろね……。カセットのダビングすらしてなかったんだ。良いのか悪いのか確認することも出来なかった。「Stacte」シリーズのVol.1とVol.2のマスターはそのプレス工場にあったという状態なのだが、実を言うとその工場はその後つぶれてちまってさ。だからマスターが将来出てくるかどうかはわからない。あれをリリースした理由ははっきりとはわからないが、この出来事を通して自分の演奏を研究して見直すという事につながった。そこは嬉しく思うね。オレはあの時までソロ音源をリリースした事は無かったんだけど、この出来事のおかげでもっとやってみようって弾みがついた。それと、これは限定盤という代物だったので、完璧じゃない事を心配してはいなかったし、失敗ってヤツにもこだわっていなかった。
次の「Stacte」シリーズもそういった伝統を受け継いで作られたよ。考え過ぎる事なく、前もって準備することなく続けられる長旅をただただ録音する。そういう伝統だ。
●去年、ヨーロッパとNYに行きましたが、ソロとして行くのは初めてですか?
ああ、海外は初めてだよ。オーストラリアではソロライブをやった事があるけど。
●プレイに対するアプローチはソロライブをこなすにつれてどのように変化しましたか?
本当に成長した。イギリスで行った最初の何回かのライブはだいたい20分くらいのセットだった。けど、ツアーの最後には50分くらいになったよ。ともかく、全部の曲が長い曲に変化したんだ。長い曲をプレイすればするほどリスクを背負い込むはめになったが、そのおかげで以前より新しい領域に辿り着けた。機材が全くダメな時もあったがそれはそれで違った場所へオレを連れて行ってくれた。虫食い穴(無音状態)を作り出す事が、ソロライブの空間を磨き上げるのに凄い助けになった。結果として、オレの演奏の中で無音状態は新たな居場所になったよ。そういうプレイが出来るようになったというのは自分にとっては素晴らしい経験だった。オランダのナイメーヘンでやったライブを、Ideaレーベルから「Triste」というアルバムとしてリリースする予定だ。
それと、幸運な事にヨーロッパとアメリカでライブをやる時は何度かコラボレーションも出来た。キース・ロウとロビー・アヴェナイムとのトリオでフランスで5回ライブをやったよ。キースは上品で、過激で、味のあるプレーヤーだ。おまけに完璧な紳士だし。Sachiko Mと大友良英がオレ達のライブに参加した夜もあったけど、それも最高だった。
オランダでは、Stilluppstepyaのヘイミルや、87 Centralのジェフ・ケアリー、あと偉大なるハンドメイドエレクトロニクスアーティスト、ゲルト=ヤン・プリンスとレコーディングをしたよ。これもいつかリリースされるかもしれない。
NYでのソロライブのハイライトは、パーカッショニストのティム・バーンズとの共演だった。ハナっから意気投合したライブだった。
●Touchレーベルとはどういった経緯があって関わるようになったのですか?
ギターの音源を収録したCD-Rを送ったんだよ。その数週間後、リリースをしたいって連絡があった。そして数ヶ月の時を経て「Insulation」としてリリースされた。オーストラリアのアーティストにとって、自分の作品をこういうレーベルからリリースしてもらえるって事は、幸運な事なんだよ。自分の作品を自分でリリースしていたなんて事も遠い昔の話でもないんでね。結局は地元の何カ所かだけで売ってフェードアウトだが。でも、この出来事がオーストラリアに在住する大勢のアーティストが、海外のレーベルに自分の作品を送る刺激になった。それ以降、海外でもちらほらリリースされるようになった。
●「Stacte」シリーズと「Insulation」の違いは何でしょうか?
「Stacte」シリーズにあるのは、生々しくて、自発的で、ミニマルなアプローチだった。磨き上げて完成させようなんて事も考えてなかったよ。オレが望んでいたのは、単純に“その瞬間”を捉えるって事と、そこから長い時間をかけて探求する事だった。
「Insulation」はもっとバラエティに富んでいる。様々なムードやテクスチャーが描かれているからな。ギターでどこまでやれるか? その答えを求めて出来たアルバムだ。Touchからリリースされた最新アルバム、「Suspension」のほうがいろいろな意味で「Stacte」シリーズに近いな。曲が“その瞬間”やムードを捉えているんだ。
「Stacte3」の特にB面、あれでオレは何か気付きを得たんだよ。それが後の、「Persona」や「Suspension」につながっている。
●マーティン・ングとのコラボレーションについて教えて下さい。
初めてのコラボレーションアルバムは去年リリースされた「Reconnaissance」で、ターンテーブルとギターしか使ってなくてね。殆どがフィードバックから生み出されたサウンドだ。ターンテーブルに体重をかけるとフィードバックのピッチがかすかにだが変わる、という事に気付いたんだ。ギターとターンテーブルの、コントロールされたフィードバックが渾然一体となり、完全に別のサウンドを生み出している。
●マーティン本人についてですが……。
ああ、ビックリするような男だよ。何せ昼間は心臓内科医で夜はターンテーブリストだからな。ヤツは「Machine for Making Sense」の管楽器奏者、ジム・デンリーとコラボレーションして、素晴らしい即興作品(Vergency)も作った。あと、マティアス・グマッハルのFarmers Manualってプロジェクトにも関わっているよ。タイトルが「Gcttcatt」ってアルバム。「Gcttcatt」って奇妙な名前は珍しい塩基配列が由来になっていてね。アイツの心臓の研究に関係する話だ。
●オーストラリア全般について教えて下さい。地理的に、それに移民法の点から見て孤立してしまっている事が人々や人々の考えにどう影響を与えていますか? その事に対してあなた方はどのように対処しているのでしょうか?
影響の度合いは人によって違うし、それは各個人が考えるべき問題だ。オレは好奇心が強い人間なので、何かを聞きつけてそれが本当に求めるものであれば何とかして手に入れるようにしてきたよ。大事なのは、オープンになって可能な限りたくさんの音楽に触れる事だ。常に様々な音楽を見つけ出して、吸収するよう心掛けている。
たくさんの面白い作品がオーストラリアでも生まれているが、もう本当に人目につかないという状況だな。例えば、君がそれらを見つけるために必死に努力したとしても、得られるのはライブを観る機会だけだろう。作品が視界に飛び込んでくるなんてことはない。しかし、マイナーな輸入盤を手に入れる事に関してはここ数年でいくらかマシになった。それにありがたい事に、海外のアーティストが来てくれている。
ライブに関しても、フラストレーションは溜まっている。1年にやるライブの回数は10回かそこらかも、なんてかなり落ち込んじまうよな。その代わり時間はあるんで集中して自分を磨いてこれたが。ライブが毎日あるような状況じゃないからライブがあると殆どの場合が“特別”なものになっちまう。What Is Music? Festivalに出演した海外のアーティストですら言ってたよ。“こんな大勢の前でライブをやった事なんて無かった”って。アーティストに対する関心も“サポート”もそれほどないんだ。“スポーツ”は一番なんだが。殆どのライブはミュージシャン自身の企画によるものさ。場所のライブハウスのブッキングからフライヤー制作、告知、その他諸々に至るまでね。とはいえ地元を離れるのは高くついちまうしフライト時間もクソ長い。そういうわけで地元にとどまっているアーティストは大勢いるな。皆、マジで外の世界の音楽シーンでは何が起こっているのかわかっていない。しかし、それでも美しくて個性的な作品は生み出されている。これは孤立しているからこそ生まれた結果だと思うのだがどうだろうか? いや、そうかな……。それが重要かどうかはわからないな。オーストラリアでも他の場所と同様に、とんでもなくひどい作品が山ほど作られているんでね。
ま、それでもここでの生活は楽しいよ。景色は美しく、天候も穏やかだし。あと、メシも最高だ! でも海外に出る事が出来ずに、他の文化とのコラボレーションや他の国でのライブが出来ない状態だったら気が狂っていただろうなぁ。ああゾッとする!
Oren Ambarchi Official site
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Oren Ambarchi Facebook
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Black Truffle Records
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Perfect Sound Forever
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2011-06-08 :
音楽 :
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小野寺唯 インタビュー 2010年11月10日
国内/外のレーベルより数多くの作品をリリースし、音楽活動の場をワールドワイドに展開している小野寺唯。そうした実績を持ちながらも、ミュージシャンという1つの枠にはとどまらない。「環境/空間から捉えた音の機能と関係性」をコンセプトにサウンドスペースデザイン、そしてインテリアデザインを手掛ける。さらにはCRITICAL PATHレーベルの主宰者としてサウンドアーティストの作品リリースや、コンサートイベント企画の運営と、活動は多岐に渡る。“種類の異なる素材の組み合わせが、新たな存在を生み出す。それはどこか都市計画にも通じるところがある”。これは自分自身の曲作りに対する本人の考えだが、様々なエレメントを持ち、複雑に絡まり合いながら新たな存在を生み出していく彼の人生もまた、どこか都市計画に通じるものがある。
※著作権について:記事を書いた本人Tobias Fischer氏から、翻訳記事の掲載と、画像の使用の許可を頂いております。
Original Script link:here
●世界中の都市の景観は、どんどん似たものになってきています。グローバリズムがアイデンティティを駆逐している。そう感じることはありますか?
ええ、そう感じます。他の都市の要素を取り入れてしまって、本来のアイデンティティを失っていますね。騒々しいだけというか。確かに少し残念に思うところがあって、それは、その国その国の都市のアイデンティティが以前と比べてはっきりと認識出来なくなっているところです。IT(情報技術)の発達によってこうなってしまっているんじゃないでしょうか。そして、同じ事が音楽の世界でも起きています。あらゆる情報が溢れかえっていますよね。それで均一化に向かう傾向があるというか。
●東京という都市は、あなた自身が追い求めている日本の価値観を象徴していると思いますか?
全く思わない。東京を一言で表すと、“雑多”ですね。様々な文化や場所がごちゃ混ぜになって出来たので独自性が無い。これが東京の本当の姿であり逆説的な独自性です。私が強くひかれるのは明確な独自性を持った都市です。ただ、東京のような都市って、先ほども述べたように、様々なプロセスを経て形成されてきたんですよね。都市のノイズも同様に、様々なプロセスを経て作られています。そうやって形成されていくプロセスに関しては、とても興味があります。
●作曲の流れを教えて下さい。
作曲の流れは、まず素材自体を作るところからかな。フィールドレコーディング素材も使いますが。それぞれの素材には関連性がなくても、曲作りを通してつながりが見えてくる。素材と素材を結びつけるのが私の仕事だとも言えます。そして、結びついた素材が徐々に1つの曲として機能し始める。もし素材が1つでも欠けていたら、曲として成り立たないかもしれない。“新たな存在を生み出すために種類の異なる素材を組み合わせる”。この考え方って、どこか都市計画にも通じるところがありますよね。
●今回のアルバムで意識した“日本的なアプローチ”についてですが、どう考えていますか?
まず、時間ありきではない。日本人的なアプローチってそこなんですよね。音と音の間にこそ時間が存在する。大事なのは“引きの美学”なんです。“引きの美学”って、可能な限りの少ない音と、限界まで絞った小さな音で空間と時間を組み立てる。私はそう定義しています。昔の日本人の美意識に基づいた考え方ですね。よく日本庭園に表現される、あんな感じです。
あと、建設やインテリアデザインにも興味があるので、無意識のうちに影響を受けているかもしれない。
●“集めた素材によってストーリーが紡がれていく”という発言についてですが……。
前も言いましたが、都市の構造に高い関心を持っています。「Generic City」はケヴィン・リンチの著書、「都市のイメージ」の影響が大きいです。例えばその本には、“異なるエレメントが、都市計画にどういった相互作用をもたらすのか?”といった事について書かれていたのですが、その内容を自分なりに応用してみたりしました。
1つ言えるのは、「Generic City」上には異なるサウンドの景色が広がっていて、それらのサウンドの本質が複雑に絡まり合い、1つの存在を作っているという事ですね。まさに1つの都市とも呼べる存在です。1つのイメージにとらわれておらず、様々なイメージを持ち、そこには構造が存在する。ドキュメンタリー的というか、脚本のない物語というか。そういう見方も出来ますよね。
●“アイデンティティはサウンドに反映される”。興味深い発言です。
例えば、ある床材についての話になりますが、素材、肌触り、色、材質の堅さ、その他諸々と、どれを1つとっても決断に至るまでには果てしないプロセスがあります。それと同じ事で、空間をデザインする時も、壁、天井、家具、そして照明と、いろいろな要素を、全体像を意識して分析します。それが反映されるんです。作曲の方法も同じですよ。つまり、“アイデンティティはサウンドに反映される”わけです。
●アルバムを作った事が、どういった形であなたの精神面に影響を与えましたか?
私が考えるようになったのは、今って技術が発達して、遠く離れた人とコミュニケーションを取る事が難しい事ではなくなりましたよね。だからこそ、本当に必要とされるのは実際の身の周りの環境に理解を示す事。そこですね。 都会の人は都市に対する愛着を持っていないし、主観的にしか状況を見ることが出来なくなっているし……。仮に、音楽もそういった状況の中で存在していると考えるのならば、私たちアーティストはその事について、前向きな姿勢で取り組んでいかなければならないですよね。
●以前、「海外のアーティストとのコラボレーションが、日本と再び向き合うきっかけになる」と仰っていましたね。
そうですね。自分と向き合わず、外に目を向けた事(コラボレーション)が、結果として日本と向き合う事になりました。Celerと一緒にやってみてその事に気付いた。「Generic City」には、サウンドを通して日本の文化を表現するという試みがあります。
ほぼ全ての日本人は、自国の文化というものに本当に意識を向けていない。これは日本人独特の感覚かもしれないですが。私たちは、世代を超えて海外の文化に寄りかかってきましたので……。多くの日本人が日本について学んでいないんです。外国人にすら劣るほどです。教育の問題とはまさにこの部分じゃないでしょうか。フィールドレコーディングを通して日本独自のサウンドを集めた時、そこに気付きました。日本について学ぶというのは本当に価値のある経験になると思うのですが……。
●Celerとは、あなたにとってどういった存在でしょうか?
Celerの曲を初めて聴いたとき、自分たちには共通する美意識があるなって感じました。それで、すぐに連絡をとって一緒に曲作りを始める事になったんです。作品のコンセプトについて話し合っていた時も、お互い共通した特徴があるって気付いたりしましたね。都市生活者だったというところや、曲作りの重要な要素として、フィールドレコーディングをよく行うところとか。それで、“都市”というコンセプトで作曲をしてみようという事になったんです。
今まで曲を作る時は、サウンドを通して身の周りの環境を表現することに意識を集中してきました。でも今回のコラボレーションでは、あえてそのやり方をやめてみた。Celerとコラボレーションで得た結果の中で、一番大きいのはその変化ですね。自分の音楽の違った一面を見せられた事にとても満足しています。将来、またCelerとは新しいテーマで一緒にやりたいですね。
●今後、CRITICAL PATHや自分自身の活動を今まで以上に活性化させていくつもりですか?
コンピレーションアルバムをCRITICAL PATHからリリースする作業の真っただ中ですが、あまりにも忙しくていつリリース出来るのかわからない。今はそういう状況ですね……。今後はもっと活発にレーベルの運営を継続していきたいし、それと平行してライブも企画していきたいです。
The Beautiful Schizophonicとの、2枚目のコラボレーションアルバムを制作中です。あと、笹島裕樹さんともコラボレーションアルバムを作っています。これらの作品がたくさんの人に伝われば幸せですね。
CRITICAL PATH label
http://www.critical-path.info
“Waiting Until Something Else Happens” from Album「Generic City」
http://vimeo.com/18613337
小野寺唯 Facebook
http://ja-jp.facebook.com/people/Yui-Onodera/100000744742067
小野寺唯 Twitter
https://twitter.com/yui_onodera
Celer
http://www.thesingularwe.org/celer/
tokafi
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※著作権について:記事を書いた本人Tobias Fischer氏から、翻訳記事の掲載と、画像の使用の許可を頂いております。
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●世界中の都市の景観は、どんどん似たものになってきています。グローバリズムがアイデンティティを駆逐している。そう感じることはありますか?ええ、そう感じます。他の都市の要素を取り入れてしまって、本来のアイデンティティを失っていますね。騒々しいだけというか。確かに少し残念に思うところがあって、それは、その国その国の都市のアイデンティティが以前と比べてはっきりと認識出来なくなっているところです。IT(情報技術)の発達によってこうなってしまっているんじゃないでしょうか。そして、同じ事が音楽の世界でも起きています。あらゆる情報が溢れかえっていますよね。それで均一化に向かう傾向があるというか。
●東京という都市は、あなた自身が追い求めている日本の価値観を象徴していると思いますか?
全く思わない。東京を一言で表すと、“雑多”ですね。様々な文化や場所がごちゃ混ぜになって出来たので独自性が無い。これが東京の本当の姿であり逆説的な独自性です。私が強くひかれるのは明確な独自性を持った都市です。ただ、東京のような都市って、先ほども述べたように、様々なプロセスを経て形成されてきたんですよね。都市のノイズも同様に、様々なプロセスを経て作られています。そうやって形成されていくプロセスに関しては、とても興味があります。
●作曲の流れを教えて下さい。
作曲の流れは、まず素材自体を作るところからかな。フィールドレコーディング素材も使いますが。それぞれの素材には関連性がなくても、曲作りを通してつながりが見えてくる。素材と素材を結びつけるのが私の仕事だとも言えます。そして、結びついた素材が徐々に1つの曲として機能し始める。もし素材が1つでも欠けていたら、曲として成り立たないかもしれない。“新たな存在を生み出すために種類の異なる素材を組み合わせる”。この考え方って、どこか都市計画にも通じるところがありますよね。
●今回のアルバムで意識した“日本的なアプローチ”についてですが、どう考えていますか?
まず、時間ありきではない。日本人的なアプローチってそこなんですよね。音と音の間にこそ時間が存在する。大事なのは“引きの美学”なんです。“引きの美学”って、可能な限りの少ない音と、限界まで絞った小さな音で空間と時間を組み立てる。私はそう定義しています。昔の日本人の美意識に基づいた考え方ですね。よく日本庭園に表現される、あんな感じです。
あと、建設やインテリアデザインにも興味があるので、無意識のうちに影響を受けているかもしれない。
●“集めた素材によってストーリーが紡がれていく”という発言についてですが……。
前も言いましたが、都市の構造に高い関心を持っています。「Generic City」はケヴィン・リンチの著書、「都市のイメージ」の影響が大きいです。例えばその本には、“異なるエレメントが、都市計画にどういった相互作用をもたらすのか?”といった事について書かれていたのですが、その内容を自分なりに応用してみたりしました。
1つ言えるのは、「Generic City」上には異なるサウンドの景色が広がっていて、それらのサウンドの本質が複雑に絡まり合い、1つの存在を作っているという事ですね。まさに1つの都市とも呼べる存在です。1つのイメージにとらわれておらず、様々なイメージを持ち、そこには構造が存在する。ドキュメンタリー的というか、脚本のない物語というか。そういう見方も出来ますよね。
●“アイデンティティはサウンドに反映される”。興味深い発言です。
例えば、ある床材についての話になりますが、素材、肌触り、色、材質の堅さ、その他諸々と、どれを1つとっても決断に至るまでには果てしないプロセスがあります。それと同じ事で、空間をデザインする時も、壁、天井、家具、そして照明と、いろいろな要素を、全体像を意識して分析します。それが反映されるんです。作曲の方法も同じですよ。つまり、“アイデンティティはサウンドに反映される”わけです。
Waiting Until Something Else Happens from yui onodera on Vimeo.
●アルバムを作った事が、どういった形であなたの精神面に影響を与えましたか?
私が考えるようになったのは、今って技術が発達して、遠く離れた人とコミュニケーションを取る事が難しい事ではなくなりましたよね。だからこそ、本当に必要とされるのは実際の身の周りの環境に理解を示す事。そこですね。 都会の人は都市に対する愛着を持っていないし、主観的にしか状況を見ることが出来なくなっているし……。仮に、音楽もそういった状況の中で存在していると考えるのならば、私たちアーティストはその事について、前向きな姿勢で取り組んでいかなければならないですよね。
●以前、「海外のアーティストとのコラボレーションが、日本と再び向き合うきっかけになる」と仰っていましたね。
そうですね。自分と向き合わず、外に目を向けた事(コラボレーション)が、結果として日本と向き合う事になりました。Celerと一緒にやってみてその事に気付いた。「Generic City」には、サウンドを通して日本の文化を表現するという試みがあります。
ほぼ全ての日本人は、自国の文化というものに本当に意識を向けていない。これは日本人独特の感覚かもしれないですが。私たちは、世代を超えて海外の文化に寄りかかってきましたので……。多くの日本人が日本について学んでいないんです。外国人にすら劣るほどです。教育の問題とはまさにこの部分じゃないでしょうか。フィールドレコーディングを通して日本独自のサウンドを集めた時、そこに気付きました。日本について学ぶというのは本当に価値のある経験になると思うのですが……。
●Celerとは、あなたにとってどういった存在でしょうか?
Celerの曲を初めて聴いたとき、自分たちには共通する美意識があるなって感じました。それで、すぐに連絡をとって一緒に曲作りを始める事になったんです。作品のコンセプトについて話し合っていた時も、お互い共通した特徴があるって気付いたりしましたね。都市生活者だったというところや、曲作りの重要な要素として、フィールドレコーディングをよく行うところとか。それで、“都市”というコンセプトで作曲をしてみようという事になったんです。
今まで曲を作る時は、サウンドを通して身の周りの環境を表現することに意識を集中してきました。でも今回のコラボレーションでは、あえてそのやり方をやめてみた。Celerとコラボレーションで得た結果の中で、一番大きいのはその変化ですね。自分の音楽の違った一面を見せられた事にとても満足しています。将来、またCelerとは新しいテーマで一緒にやりたいですね。
●今後、CRITICAL PATHや自分自身の活動を今まで以上に活性化させていくつもりですか?
コンピレーションアルバムをCRITICAL PATHからリリースする作業の真っただ中ですが、あまりにも忙しくていつリリース出来るのかわからない。今はそういう状況ですね……。今後はもっと活発にレーベルの運営を継続していきたいし、それと平行してライブも企画していきたいです。
The Beautiful Schizophonicとの、2枚目のコラボレーションアルバムを制作中です。あと、笹島裕樹さんともコラボレーションアルバムを作っています。これらの作品がたくさんの人に伝われば幸せですね。
CRITICAL PATH label
http://www.critical-path.info
“Waiting Until Something Else Happens” from Album「Generic City」
http://vimeo.com/18613337
小野寺唯 Facebook
http://ja-jp.facebook.com/people/Yui-Onodera/100000744742067
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http://www.thesingularwe.org/celer/
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http://www.tokafi.com/
2011-05-28 :
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